いまロシアFSBが握る「ポスト・プーチン」のキーファクター:「大統領排除」が唯一可能な組織の影響力

執筆者:田中祐真 2023年10月16日
エリア: ヨーロッパ
FSB内部では、経済的利害関係などからいくつかの派閥が存在する[クレムリンで行われた高等軍事学校の卒業生との会合に臨むボルトニコフFSB長官(中央)=2023年6月21日、ロシア・モスクワ](C)AFP=時事
旧KGBの防諜任務と大統領の私的抑圧部隊の機能を併せ持つFSB(連邦保安庁)は、「国家内部の国家」として強大かつ隠然たる影響力を保持してきた。それがいま「プーチン放逐に必要な組織力を持つ唯一の組織」と指摘される理由だが、実際、FSB内部の派閥対立を意図的に煽ったプーチンの手法が、皮肉にも一部を「大統領排除」に先鋭化させた可能性はある。いずれプーチンの「後釜」が選ばれるとしても、それはFSBの後ろ盾を持つ人物以外に考えにくい。

 巨大な「防諜国家」であるソビエト連邦では、国家体制の正当性を護持するべく、悪名高い国家保安委員会(KGB)が「西側の脅威」に関するナラティブを形成し、国民や企業、政府に至るまで遍く浸透していた。KGBは国家政治や外交、軍事にまで強い影響力を有する「国家内部の国家(state within a state)」へと膨張したが、ソ連の崩壊により、ロシア連邦ではその主な機能は連邦保安庁(FSB)に引き継がれることとなった。

 ウクライナへの全面侵攻というロシアにとっても様々な意味で重要な局面にある中で、改めてFSBの影響力について概観しておきたい。

巨大な組織FSBとその影響力:あらゆる組織内部にいる「FSB出向職員」

 現代ロシアの主要な情報機関には、FSB、対外情報庁(SVR)、国防省情報総局(GRU)などがあるが、このうちFSBとSVRはKGBを前身としている。組織としてのKGB成立の経緯については割愛するが、その位置づけは当初より、ソ連共産党の最高意思決定機関である政治局の指示に従う「政治機関」であった。その人員数は膨大なもので50万名ほどに上ったとされており、「現役予備将校」(KGB職員は軍人扱いである)として、軍のほか、あらゆる政府機関やメディア、大学等の学術機関、教会、企業等に勤務しながら、機密保持や諜報・防諜活動に従事した。

 KGB職員としての経歴は基本的に明かされず、一般の各組織の職員らの中にあって、個人または組織として「不穏な」動きがないか目を光らせていた。SVRの直接の前身機関となったKGB第一総局の職員は、各国のソ連在外公館に外交官として派遣され、対外諜報や情報工作に従事した。これらの活動においては、外国人を含む外部のエージェントや所謂「信頼に足る者(доверенное лицо)」が活用されたとされる。

 1991年8月クーデターの失敗とソ連の崩壊の後、KGBはいくつかの組織に分割された。KGBが政治的コントロールを主眼においていたのに対し、後継機関の一つである1995年創設のFSBは、法や他機関の手の及ばない、大統領の私的な抑圧部隊となった。1998年にFSB長官、2000年に大統領に就任したウラジーミル・プーチンは、KGB時代及びサンクトペテルブルク副市長時代に築き上げた「資本主義の弊害でありソ連国内には存在しない」はずの犯罪組織とのコネクションを活用して、自身に歯向かう者に制裁を加える機構を成立させたのである。FSBは、防諜機関としての任務の他に、プーチンとそのインナーサークル、また大統領府の利益にかなうよう政治的・経済的な問題を解決するべく活動している。

 FSBの強い影響力を支えているのは、KGBから引き継がれた巧妙な情報工作による内外世論の操作能力、またそれを可能にするあらゆる組織への浸透と人物の掌握術であろう。KGBの「現役予備将校」制度は「FSB出向職員」として残り、国内外のNGOやインターネット上にも活動の範囲を広げ、非常に多様な組織の内部に入り込み続けている。

 ロシアや旧ソ連諸国において、FSBをはじめ軍、内務省、警察・検察等の国防・治安機関はシロヴィキ(силовики)と呼ばれる。この手の組織はその性質上、それぞれが一定の勢力となりがちであるが、FSBは他のシロヴィキ内部にも浸透して統制を効かせている。同じく、裁判所等の司法の領域もFSBのコントロールが可能な状態にある。また、世界一位の広大な国土を有するロシアにおいて、モスクワから離れているからといってもFSBの網をかいくぐるのは容易ではない。占領下のクリミア及びセヴァストーポリを含む各連邦構成主体にはFSB支局が置かれ、当然ながら地方行政府や地方議会にもFSB関係者が浸透している。

 KGBは、「コンプロマット(компромат)」と呼ばれる特定人物・団体の評判を落とすための性的・金銭的その他の不祥事にかかる情報(真偽は問わないことがしばしばであり、ハニートラップなどにより意図的に作成される場合もある)の収集と活用を盛んに行っていた。FSBにもこの技術が継承されており、この「弱み」は対象者の言動のコントロールにも用いられている。つまり、たとえ政権に近い人物であっても、何らかの状況に応じて暴露され得る「弱み」を握られて活動している可能性があるということだ。

 こうした体制の下、ロシア国内では文字どおり全ての領域のあらゆるレベルにFSBの影響力が及んでいるといえる。

FSB内部の勢力争いとプーチンとの関係性:「プリゴジンの乱」は予行演習?

 ソ連崩壊後の混乱期、満足な収入を得ることが難しくなった特務機関職員は、新たに合法化された民間ビジネスに目をつけ、自身のコネや職権を活用し、マネーロンダリングや違法な金融取引など多くの大規模な経済犯罪への関与、そして汚職スキームを通じてカネを生み出すべく動き出した。こうした背景もあり、FSB内部では、経済的利害関係などからいくつかの派閥が存在し、「裏の政府」としての権力を巡って勢力争いが行われているとされている。

 FSBは事実上、大統領府や国家安全保障会議を飛び越えてプーチン直属の機関となっているが、興味深いのは、プーチンからFSBへの命令が、アレクサンドル・ボルトニコフFSB長官を通してのみならず、FSBの各部局の長にも直接下される点である。プーチンはあえて派閥間の対立関係を刺激しつつ、特定の派閥に肩入れしすぎないことで組織内のバランスを保っているのだ。

 他方で、プーチンが本当にFSBを御しきれているのかとの観点で興味深いのが、6月に発生した民間軍事会社「ワグネル」オーナーのエヴゲニー・プリゴジンによる所謂「プリゴジンの乱」であろう。……

この記事だけをYahoo!ニュースで読む>>
カテゴリ: 政治
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
田中祐真(たなかゆうま) 東京大学先端科学技術研究センター特任研究員。東京外国語大学外国語学部卒業、東京大学大学院博士前期課程人文社会系研究科修了。2017年5月より2020年3月まで在カザフスタン共和国日本国大使館専門調査員、2020年4月より独立行政法人国際協力機構(JICA)東・中央アジア部専門嘱託を務めた後、2022年8月より在ウクライナ日本国大使館専門調査員。2023年9月より現職。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top