「東京電力救済」を出発点として、「脱原発」や「電力の抜本改革」を実行できるか?

執筆者:原英史 2011年7月30日

 原子力安全・保安院による「やらせ問題」が噴出。原発をめぐる混迷は深まる一方だ。

 
そんな中、菅総理は29日夜、官邸で会見。「今後、原発に依存しない社会を目指し、計画的段階的に原発への依存度を下げていく、このことを政府としても進めていく」と表明した。今度こそは、「個人の見解」でなく、曲がりなりにも「政府として・・」となったらしい。
 
同じ日、エネルギー・環境会議で示された「革新的エネルギー・環境戦略策定に向けた中間的な整理案」では、「白紙からの戦略構築」や「聖域なき検証」といったキャッチフレーズの下、「原発依存度の低減」のほか、「集権型電力供給から分散型への転換」「公益事業(送配電、原子力)と競争事業(発電、小売)の峻別」などの意欲的な論点も掲げられた。
 
こうした麗しいキャッチフレーズと意欲的論点は、本当に実行されるのか?
残念ながら、あまり可能性がありそうには思えない。
 
というのは、集権型電力供給からの脱却、発送電分離といった改革は、東京電力をはじめとする十電力体制に対する挑戦そのもの。問題の所在は古くから指摘されながら、誰も実行できずにきた。
 
これらの課題に本気で挑戦しようというなら、大電力会社やその関係者たち(電力ムラ)との間で、大変な摩擦と抵抗を避けて通れない。
だが、現在、政府と国会で進められていることを見れば、そんな覚悟は微塵も感じられず、むしろ逆方向だ。
過去数回のエントリーで指摘してきたが、8月1日の週早々にも、「原子力損害賠償支援機構法案」という名の「東京電力救済法案」が成立する見通し。しかも、民・自・公の修正合意によって、一層「東京電力救済」が強化されてさえいる。
この修正「機構法案」で、「東京電力をはじめとする現行の電力供給体制」の護持が確定すれば、将来的に、これに敢えて手を出すことは極めて困難になるはずだ。
 
「東京電力救済」を出発点としながら、一方で、これまでの電力行政を「白紙から聖域なく」見直し、「脱原発」や「電力の抜本改革」にまで行き着く・・・そんなシナリオは、荒唐無稽と言わざるを得ない。
 
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執筆者プロフィール
原英史(はらえいじ) 1966(昭和41)年生まれ。東京大学卒・シカゴ大学大学院修了。経済産業省などを経て2009年「株式会社政策工房」設立。政府の規制改革推進会議委員、国家戦略特区ワーキンググループ座長代理、大阪府・市特別顧問などを務める。著書に『岩盤規制―誰が成長を阻むのか―』、『国家の怠慢』(新潮新書)など。
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