安倍政権の成長戦略「岩盤規制改革」を阻んだ「国家の怠慢」

執筆者:原英史 2020年9月11日
タグ: 日本 安倍晋三
エリア: アジア
 

 安倍政権は、アベノミクスのスタート当初から、「第一の矢」(金融)と「第二の矢」(財政)は合格点だが、「第三の矢」(成長戦略)は落第、と言われ続けてきた。評価は覆らないまま、長期政権が終わった。

 成長戦略の一丁目一番地とされたのは、「岩盤規制」改革だった。

 当初の安倍晋三首相の意気込みは強かった。2014年のダボス会議では自ら「これから2年間で、ドリルですべての岩盤規制を砕く」と表明し、世界の注目を集めた。しかし、残念ながら成果は乏しく、課題は新政権に積み残された。

 成果が全くなかったわけではない。

 農協制度は60年ぶり、漁業制度は70年ぶりの大改革がなされた。国家戦略特区では、37年ぶりの医学部新設、52年ぶりの獣医学部新設もなされた。国家戦略特区の都市計画手続の特例を活用し、東京都内では30カ所以上の再開発プロジェクトが進んだ。

 

 だが、多くの分野で規制改革は停滞した。

 とりわけ、世界で急速に進むデジタル変革への対応は出遅れた。医療や教育のオンライン対応など、部分的には前進しつつも、厚い壁をなかなか突破しきれなかった。そうこうするうち、コロナ禍で図らずも改革の遅れが露呈した。

 行政手続のオンライン化も、スローガンは何度となく唱えられたが、現実は進まなかった。せっかく設けられたマイナンバーは利用目的が限定され、10万円の給付に利用できなかった。全国自治体で、職員が申請と住民台帳をつきあわせる膨大な事務作業に追われることになった。もうちょっと早く規制改革を実現していれば、と悔やまれることが多かった。

「岩盤規制」が経済成長を阻む

「岩盤規制」がもたらしているのは、「オンラインで診療や授業を受けられない」といった利便性の問題にとどまらない。

 経済社会全体で生産性の低迷、ひいては1人当たりGDP(国内総生産)の低迷をもたらしてきた。日本の1人当たりGDPは、OECD(経済協力開発機構)加盟36カ国中18位(2018年、購買力平価ベース)。米国やドイツには遠く及ばず、OECD平均よりも低い。2012年末以降の安倍政権で、株価は大幅に上がったが、1人当たりGDPの順位は上がらなかった。むしろ、主要先進国との差は広がった。

 大きな要因は、デジタル変革の遅れをはじめ、古い仕組みの維持、イノベーションの欠如だ。そして、古い仕組みを強いているのが、「岩盤規制」だ。だから、成長戦略の一丁目一番地は「岩盤規制」改革でなければならなかったのだ。

 古い仕組みが随所に残る代表的分野が、「電波」である。

 電波は、これからのデジタル社会で重要度が飛躍的に高まる。人と人のコミュニケーションだけでなく、あらゆるモノがネットワークでつながるための基盤だからだ。

 問題は、電波の帯域は限られ、使い勝手のよい帯域は古くから使用されていることだ。このため、たとえば米国では、地上波テレビの帯域を逆オークションで買い上げ、より高い利用ニーズを持つ事業者にオークション売却するなどの仕掛けを導入している。未来の成長産業にスペースをあけるため、いわば電波帯域で“都市再開発”を行っているわけだ。

 安倍政権下ではこうした議論もなされ、取組が一部進んだが、電波オークションはいまだに実現せず、放送制度改革も前進は小さかった。むしろ本筋から外れた「放送法4条(放送局に「政治的公平性」を義務付ける)撤廃」論などで大混乱の起きた経過は、拙著『岩盤規制』で詳述したとおりだ。

 前掲の表では、主要分野の岩盤規制をあげた。実はこれ以外に、細々した分野の規制が膨大にある。

 たとえば、『岩盤規制』でも取り上げた「クリーニングの無人ロッカー」がその一例だ。コロナ対応で「非接触」への転換が諸分野で進む中、クリーニングでも、ロッカーで洗濯物の受け渡しを行う無人店舗があってもよさそうなものだ。ところが、厚生労働省の通達では、洗濯物の受け渡しはカウンターでの対面でなされる必要があり、無人ロッカーは不可とされる。衛生管理ならばロッカーでも徹底可能なので、理屈はよくわからない。しかも、マンションの宅配ボックスを利用した「ネット宅配クリーニング」は規制対象外で野放しにされているのだから、厚労省の対応はおよそ筋が通らない。

 こんなことが起きるのは、無人ロッカーの設備投資ができるのは比較的大手の事業者であり、資力の乏しい零細クリーニング店にとって解禁が好ましくないためだ。零細クリーニング店といえども業界団体など政治力はあるので、無意味な規制維持を政治・行政に強力に求め、これがまかり通っているのが現実だ。

 現に、規制改革推進会議でこの議論をした際、自民党の某長老議員が直ちに事務局に電話をかけてきてストップをかけた。残念ながら、そんな電話一本で止まってしまうのが今の規制改革の実情だ。

こうした1つ1つは小さな、しかし不合理な規制が積み重なり、日本のそこら中でイノベーションを阻み、日本経済の生産性を低迷させているのである。

「新・利権トライアングル」

「安倍一強」とも言われた強力な政権で、「岩盤規制」改革はなぜ進まなかったのか。答えの1つは、安倍政権は決して「官邸主導」ではなかったことだ。詳しくは経済学者・高橋洋一氏との共著『国家の怠慢』でも書いたが、外交・安保は別として、内政は概ねコンセンサス重視だった。

 

 そして、もう1つの、より重要な答えは、前掲の表の中に隠されている。

 各項目の実現時期をみると、右半分の国家戦略特区での規制改革が2017年でぱったりと止まった。2017年通常国会で「加計問題」の疑惑追及がスタートして以降だ。

「首相の友人への利益誘導」

「首相への忖度で規制改革」

 などと、国家戦略特区での獣医学部新設を巡って、マスコミや国会での追及が長く続いた。国家戦略特区ワーキンググループの委員を務めていた私から見れば、根拠不明の“疑惑追及”だが、ともかく、追及が続くうちに、関係者の多くは「規制改革をやって、またあらぬ疑惑追及を受けたら堪らない」と、新たな規制改革に及び腰になってしまった。

 これが、安倍政権後半に「岩盤規制」改革をストップさせた「壁」の正体だ。

 これも詳しくは『国家の怠慢』で論じたが、マスコミや国会での“疑惑追及”は、実はデタラメだらけだ。

 

 伝統的な「鉄のトライアングル」で一角を占める与党族議員の代わりに、マスコミと野党議員が登場。その裏側に隠れて、利権を守りたい役所と業界が規制改革にストップをかける。しかも、マスコミと野党議員は、事実かどうかにかかわりなく、国会で“疑惑追及”したらマスコミで報道、マスコミで“疑惑”を報じればそれを国会で追及、と“証拠なき追及”を無限サイクルで回し続けることができる。

 私はこれを「新・利権トライアングル」と呼んでいる(記事冒頭の図参照)。

 これを正さない限り、どんなに強力な政権でも「岩盤規制」改革は難しい。そして、これを放置する「国家の怠慢」による、我が国の地盤沈下を止めることも難しいのである。

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原 英史(はら・えいじ)

1966(昭和41)年生まれ。東京大学卒・シカゴ大学大学院修了。経済産業省などを経て2009年「株式会社政策工房」設立。政府の規制改革推進会議委員、国家戦略特区ワーキンググループ座長代理、大阪府・市特別顧問などを務める。著書に『岩盤規制―誰が成長を阻むのか―』、『国家の怠慢』(共に新潮新書)など。

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執筆者プロフィール
原英史 1966(昭和41)年生まれ。東京大学卒・シカゴ大学大学院修了。経済産業省などを経て2009年「株式会社政策工房」設立。政府の規制改革推進会議委員、国家戦略特区ワーキンググループ座長代理、大阪府・市特別顧問などを務める。著書に『岩盤規制―誰が成長を阻むのか―』、『国家の怠慢』(新潮新書)など。
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