「トップマネジメントが意味ある取締役会を育てないならば、社会から不適切な取締役会を押しつけられる」(P. F. ドラッカー『マネジメント―基本と原則』)
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台風一過。ニッポン放送買収劇は、あっという間にマスメディアの口の端にほとんど上らなくなった。だが、あの狂騒が経営の世界に大きなうねりを生じさせたのは間違いない。「世代間闘争」だの「既得権益と新興勢力」だのといった観念論は措くとして、経営者がプラグマティックな反応を見せたのは「所有と経営の分離」についてである。
四月二十日、イトーヨーカ堂グループはヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパン、デニーズジャパンの三社を今年九月に経営統合し、これらを傘下に収める持ち株会社を設立すると発表した。
ヨーカ堂を日本を代表する企業に育て上げた伊藤雅俊(名誉会長)と鈴木敏文(CEO=最高経営責任者)。この二人の歴史を見直す時、今回のヨーカ堂グループの再編は極めて示唆的である。
それは、「日本的オーナー制度」が本格的に終わり始めていることを告げている。
鈴木との絶妙な相互補完
一九七〇年代初めのヨーカ堂グループは、中内功のダイエー、堤清二のセゾングループ(当時は西武流通グループ)と並び御三家と称されていたものの、伊藤の地味な性格もあって、どこか影が薄かった。
にもかかわらず、ヨーカ堂だけがバブル崩壊をくぐり抜けて盤石の歩みを進めたのはなぜなのか。
(1)キャッシュフロー経営をいち早く導入し徹底的に合理性を貫いた、(2)土地・株式など投機的な財テクに一切走らなかった、(3)セブン-イレブンという先行投資がコンビニエンスストアという成長分野を開拓した、(4)POS管理システムなど在庫管理で大きく先行した、(5)本業周辺以外には多角化の網を広げなかった――。業務展開の歴史から語り起こせば、こうした点がヨーカ堂の成功の秘訣にあげられよう。
ただ、その根幹である経営体制について語るのなら、成功の秘訣は伊藤と鈴木という二人の経営者の緊張関係とコンビネーションにあった。
中内、堤、そして伊藤の三人はみな創業者である。自ら一時代を築きトップマネジメントを行なった。わけても注目したいのは、パートナーの経営者、つまり今風にいえばCEOと、どんな関係を結んだかだ。
中内と堤はパートナーを使いきれず、結局、関係を破綻させることが多かった。それどころか覇権争いまでしてしまう。覇権争いなら、雇われ経営者が創業者に勝てるはずもない。二人はオーナー兼経営者として絶大な権力をふるい続けた挙げ句、不名誉な撤退と隠遁を余儀なくされた。ダイエーは産業再生機構のもとで再生の途上。セゾングループもスーパーの西友が米ウォルマート傘下、西武百貨店はそごうと経営統合して、まったく別の経営体制に移行している。
日本で「オーナー経営者」と呼ばれている創業者やその後継者の多くは、資本の面で直接的に企業を所有したわけではない。メーンバンクシステムと株式持ち合いを利用して大方の株主の所有権を眠らせ、自らは保有株式比率の低いままで「疑似オーナーシップ」を維持したのである。
最近の経済報道を振り返ると、ダイエー、セゾンだけでなく、コクドと西武鉄道の堤義明、武富士の武井保雄、ミサワホームの三沢千代治など、いかに多くのオーナー経営者が破綻や経営不振、不祥事に襲われたかに気づかされる。優れたトップマネジメントの手腕を持っていた伊藤もまた、敢えて言えばそんな「日本的オーナー経営者」の一人であった。
では、大方の「日本的オーナー経営者」とは対照的に、ヨーカ堂での伊藤と鈴木の関係が絶妙な相互補完になったのはなぜか。最大の理由は伊藤の慎重さと謙虚さ、そして鈴木の能力に対する信頼にあるだろう。
ただし、鈴木が設立に深く関わったセブン-イレブンが成長力でヨーカ堂を上回り、グループ中核企業へと育ったことが、鈴木に伊藤家父子による世襲を拒否できるほどの力を持たせたことも忘れてはならない。そうでなければ、互いに複雑な思いを抱いたこともあるはずの二人が、いわゆる「アメリカ型経営」における「株主」と「経営者」のチェック・アンド・バランス的な関係を維持するのは不可能だったはずだ。
バブル崩壊から十五年を経たいま、着々と進むメーンバンクシステム・株式持ち合いの消滅とグローバル化の波は、ヨーカ堂の経営的成功の核心にあったこの二人の関係――日本でもっともよくできた「日本的オーナー制度」――に残る「所有と経営の未分離」を容赦なく洗う。
直接のきっかけとなったのは、堀江貴文によるニッポン放送買収劇である。フジテレビを手に入れようとした堀江が時価総額ではずっと小さな大株主のニッポン放送に触手を伸ばしたことで、ヨーカ堂グループの「資本のねじれ」も注目を浴びた。
持ち株会社設立の発表当日ベースで計算すると、親会社・ヨーカ堂の時価総額が一兆六千億円に対し、子会社・セブン-イレブンは二兆四千億円。ヨーカ堂はセブン-イレブン株の過半(五〇・六%強)を保有しているから、割安なヨーカ堂株の買い占めでセブン-イレブンを支配できる。仮に株式交換を使った外国勢のM&A(企業の合併・買収)が可能になればどうだろう――。
持ち株会社を設立して“親子”を並列化するヨーカ堂の「資本のねじれ」解消は、一面では創業者の伊藤も反対できない敵対的買収防止策である。ただしもう一面では、グループCEOの鈴木による、年来の「所有と経営の分離」構想の実行である。鈴木はニッポン放送買収劇で変化した社会のムードを読み込んだのだ。
もしかするとそのインパクトは、二人が現在考えている以上の破壊力を持つ危険がある。なにしろヨーカ堂の時価総額から保有するセブン-イレブン株を差し引けば、計算上、いまのヨーカ堂の企業価値は四千億円しかない。持ち株会社にぶら下がったとたん、株式市場はヨーカ堂を「企業ブランド」ではなく、単なる「店舗ブランド」とみなすだろう。
しかしいずれにせよ、ヨーカ堂が「店舗ブランド」化することによって、グループ内でのヨーカ堂創業者・伊藤の立場は「日本的オーナー経営者」から「一介の大株主」へと完全に移るのは間違いない。ここで初めて伊藤―鈴木の関係は、分かたれた「所有」と「経営」という関係に置き換わるのだ。
さらなる成長のための“必然”
程度の差こそあれ「日本的オーナー制度」とは、株式市場の機能不全と株式会社におけるトップマネジメント不在の産物だ。であれば、「日本的」などと断る必要すらないのかも知れない。「所有と経営の分離」は、株式会社が公開され、さらなる成長をもとめる過程で通過しなければならない歴史的な必然なのだ。
このことを七十年以上前に喝破したのが、米国の経営学者バーリとミーンズである。一九三二年に刊行された『近代株式会社と私有財産』のなかで、彼らはアメリカ資本主義の発展段階としての「所有と経営の分離」を指摘した。
世の中がようやくそれを確認しつつある最中に、どうにも季節はずれの反面教師なのは三洋電機のトップ交代人事である。自称ジャーナリストの野中ともよを会長兼CEOに据えた上で、自らは代表取締役兼取締役会議長として残ると宣言した井植敏。その息子はCOO(最高執行責任者)として副社長から社長に昇格するという。
年間一千億円単位の損失を出しながら責任をとらず、商法上の「代表取締役」、企業内序列としての「会長・社長」、さらには株主との関係をあらわす「CEO・COO」といった肩書きを、勝手気ままに投げ与える神経。絵に描いたような「日本的オーナー経営者」の井植だけでなく、投げ与えられた役回りを嬉々として押し戴く野中にも、ドラッカーが提出しているような「何が意味のある取締役会であり、何がそれを育てるトップマネジメントなのか」という問題意識は感じられない。
一方、三洋電機の兄弟会社である松下電器産業では、一介の雇われ社長にすぎない中村邦夫が、創業者である松下幸之助を“殺す”経営を目指している。経営の神様を殺すとは物騒な話ではあるが、中村は松下幸之助の精神を形と慣習でだけ繰り返そうとする悪しき「イズム」を排除しようというのだ。
創業の精神を生かすということは、昔と同じ経営をやり続けることではない。「所有と経営の分離」の時代のトップマネジメントは、経営とステークホルダーの緊張関係のなかで変化し続ける。(敬称略)
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