太平洋戦争の始まるまでスタルヒンだったピッチャーが、須田と改姓して西宮球場のマウンドで投げていた。私はそれを見た。当時は試合が五回か六回まで進むと、子供はタダで入れてくれた。須田は、遠目にも日本人とは異なる白皙だった。 英語は敵性語だから使ってはいけない。セーフはヨシ、アウトはヒケだった云々。六十年前の戦争を振り返って、いまの日本人は先祖の了見の狭さを嗤う。だがスタルヒンは投げ、巌本真理はバイオリンを弾いていた。 そのうえ敵性語を排斥したはずの国で、実は英字新聞が二紙、休刊日以外は一日も休まずに終戦まで発行され続けたのだ。
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