植松三十里『かちがらす 幕末を読みきった男』
評者:縄田一男(文芸評論家)
「肥前の妖怪」鍋島直正の
“真意”を描く秀逸の1冊
私は、本書を読み終えて、しばし、嗚咽が止まらなかった。五感が、この濁世(じょくせ)に得難き清廉の一巻に出あえた、という感覚に打ち震えていたからに他ならない。
『かちがらす』――本書は、現時点における植松三十里の最高傑作であり、気がはやいという方がおられるかもしれないが、今年の歴史小説のベスト10に確実に入る作品であろう。
主人公は、幕末の佐賀藩主である鍋島直正。「肥前の妖怪」とか「佐賀の日和見(ひ より み)」とか、とかく評判の良くない人物である。
しかし、優れた作家の卓越した史眼があれば、それは、180度違うものとなる。事実、直正は、早くから海外の事情に目を向けており、幕末、佐賀の技術は、当時の最先端をゆくものであった。
反射炉の建設をはじめとして、鉄の鋳造、大砲の製造、蒸気船の建造等々―これらは、幕府からも、倒幕派からも求められたが、直正は、徳川慶喜に対してさえ、「武器は置物であることが、何よりの役目かと存じます」といい放っている。
彼の目指しているのは、あくまでも中立の立場だ。幕府の背後にはフランスがおり、倒幕派の背後にはイギリスがいる。
開国か攘夷か――その動乱の中で慶喜は「佐賀だけが無傷で生き残るつもりだな」と直正に詰め寄る。が直正は、「内乱が起きないと確定するまでは、佐賀は、どちらにも加担はいたしません」とも「日本のためなら、私も藩も泥をかぶる所存です」とも答える。
すると、どうであろうか。
「そなたが日和見の汚名を着るなら、私も日本を守り通すために」「最後の将軍の汚名を着よう」と慶喜も声を震わせる。
このとき、直正は既に死病に取り付かれており、この命懸けの君臣の情は、読んでいて、正に肺腑をつかれる思いである。
君臣の情ということでいえば、直正と側近・古川松根(まつね)のそれも手巾をしぼるほどだが、ここでは、題名となっている“かちがらす”について触れておきたい。
かちがらすとは、別名、かささぎ。もとは豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連れてこられて、野に放たれたもの。カチカチと鳴くことから、そう呼ばれ、勝つということばから武家には縁起がいいとされ、冒頭、直正のお国入りを出迎えるように現われる。
そして最後、再び現われたかちがらすは何を告げるのか。それは是非、読者御自身の眼で確かめられたい。
正に感動の一巻といえよう。
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