現代京劇が物語る習近平政権3期目に向けた「理想的中国人づくり」 

執筆者:樋泉克夫 2022年5月10日
タグ: 中国 習近平
エリア: アジア
『中國京劇』1、2月号。左が「丹心照佤山」、右が「戦士」。
新作の現代京劇に表れた「中国アイデンティティ」という考え方。そこには、少数民族の存在を封殺して一体化させた《中国》の構築と、文革期に求められた理想的中国人づくりを目指す習近平政権の姿勢が垣間見える。 

 

 習近平国家主席は昨年12月14日、北京の人民大会堂で開かれた中国文学芸術界連合会第11回全国代表大会、中国作家協会第10回全国代表大会に、「中共中央総書記、国家主席、中央軍事委員会主席」として参加し、広範な文芸工作者に向かってこう忠告を与えた。 

「自らの社会的影響を疎かにせず、作品の社会的効果を厳粛に考慮せよ」 

 無論、作品に求めるのは、「民族復興の偉業を心に留め、人民の立場を堅持し、常に正しきを守り新しさを創り出し、心を込めて中国の物語を説き明かし、不変の正道を発揚すること」である。 

 習近平国家主席を筆頭に現在の中国の指導層は文革的思考から脱却してはいない。毛沢東が絶対権力を掌握する時代に生まれた「完全毛沢東世代」の彼らにとって、少年から青年へと移りゆく多感な時期に際会した文革の熱狂は、濃淡の差こそあれ、依然として彼らの体内に息づいている。だからこそ毛沢東が唱えた「為人民服務」、言い換えるなら滅私奉公ならぬ滅私奉党的生き方を改めることなく、文革の描いた理想的人間像を再び国民に求めようとしているのだ。 

『中國京劇』(中華人民共和国文化和旅游部主管/全国中文核心期刊)の2022年の1月号と2月号が、文革期に一世を風靡した「革命現代京劇」の焼き直しに近い「現代京劇」を強く推奨する所以もそこにある。 

新作京劇『丹心照佤山』 

 『中國京劇』1月号が特集する『丹心照佤山』は、雲南省京劇院が共産党建党100周年に向けて新作し、2021年6月に昆明劇院で初演された「民族京劇」である。同誌はこの演目の狙いを「中華民族の共同体意識を十分に明らかにすることである」と記す。 

 時は1950年代初期。舞台は雲南省南部の辺境で、少数民族の佤族が住む佤山一帯である。共産党が長年に亘って鍛え上げた優秀な解放軍偵察参謀の孔飛、佤族の娘・岳三妹の2人を軸にして物語は展開される。 

 佤山一帯に派遣された解放軍の民族工作隊は佤族との融和を目指し、頭領に国慶節への参加を求める。「民族の団結」のための重要な政治工作だろう。 

 だが一帯に勢力を張る国民党は、硬軟織り交ぜた巧妙・悪辣な手段を弄し、佤族を恐怖に陥れ、共産党の試みを阻止しようと画策する。 

 様々な妨害・困難にもかかわらず、民族工作隊は佤山一帯の社会状況を徹底調査し、「民族矛盾、階級矛盾、敵と味方の矛盾」の実態を抉り出すことに成功し、国民党勢力の実態を捉え、殲滅し、解放軍の任務である「辺境の安寧と民族団結という歴史的使命」を完遂させるのであった。 

「中国アイデンティティ」という新しい考え方 

 ここで興味深いのが「民族の団結」に加え、新たに「中国認同(アイデンティティ)」という考えが持ち出されていることである。 

 たとえば孔飛を演じた周凱は自らの公演体験記で、人民解放軍であれ、佤山一帯の少数民族であれ、「共に《中国》という意識を持つところから、国土防衛の責務が個々人の心に植え付けられる」。「辺境人民の《中国》に対する認同(アイデンティティ)は必ずしも劇作家が提示したわけではなく、じつは『団結第一、工作第二』『良いことをして友人になる』を掲げる共産党の民族政策を貫徹することから自ずと生まれ出たものである」と説く。 

 習国家主席は昨年と今年の全国人民代表大会(全人代)で、「中華民族の共同体意識の強化」を主張し、「偉大な祖国、中華民族、共産党に対する各民族の認同を高めなければならない」と説いた。 

 この主張に重ね合わせるなら、『丹心照佤山』には、漢民族と少数民族との融和による「民族の団結」を超えて、全民族を《中国》の下に再統合するという習政権の民族政策の核心が隠れているのではないか。そのことを舞台の上から訴え、国民を教化しようと目指しているように思える。 

 もちろん『丹心照佤山』は習政権の掲げる少数民族政策――たとえば「中華民族の一層の一体化」を推進するための少数民族に対する漢語教育――を賞賛する役割も担っているに違いない。 

 だが、敢えて《中国》の2文字を指し示すことで漢民族と少数民族との間の民族の垣根を取り払ってしまい、《中国》の下に一体化させ、均質化した中国人への再編を図ろうとする姿勢が垣間見える。 

 やや穿った見方をするなら、『丹心照佤山』は習政権の少数民族政策の変化を国民に周知徹底するための演目ではないか。つまり漢語教育を深化・徹底させることで言語から出発させた脱少数民族化を文化(生き方)の全領域に及ぼし、やがて中国人化させてしまおうという狙いである。その先に、新しい価値観の創造を目指しているようにも思える。 

 結果的的には破綻してしまったとはいえ、文革は新しい価値観の創造を掲げていたはずだ。京劇による政治宣伝・教育とは、まさに文革で毛沢東が駆使した手法そのものであったことを、改めて指摘しておきたい。 

文革式人間像を描き出す『戦士』 

『中國京劇』2月号が特集した『戦士』は、2021年の浙江省建党100周年祝賀重点演目である。実在する浙江省常山県人民医院の95歳の現役医師・胡兆富を主人公に配しているところに、この演目の狙いがあると考える。 

 16歳の時に故郷の山東省で八路軍に参加した胡兆富について、同誌(「為英雄立伝 展京劇新顔」)はこう紹介する。 

「抗日戦争、解放戦争を経て前後46回の大小戦役に従軍し、従軍看護兵として奮戦し、砲火と硝煙の中で数限りない命を救った。前後26回の軍功を授かり、うち特等軍功は2回、一等軍功は7回。『人民英雄』の栄誉も受けている。 

 退役後は自ら常山県人民医院での医師の道を求め、どのような困難に遭っても初心を忘れず、常山県を遍く歩き、数限りない人々の命を救い、『生命救星』と称えられている」 

「彼は我々の戦友であり、父親であり、民族の背骨である」 

 同誌に掲載された数枚の舞台写真を見る限り、「46回の大小戦役」における「砲火と硝煙」を表現すべく派手な戦闘シーンが演じられているが、この演目の見所はそこではなく、胡兆富の歩んだ人生そのものにある。 

 毛沢東は文革開始当初から、全国に向けて、延安時代に自身が書いた「老三篇」と呼ぶ文章の学習を強く求めた。 

 当時、日本で中国語を学び始めた筆者も「老三篇」を学んだ。いや正確には強要されたと言うべきだろう。文革を礼賛する親中派教師の授業では「老三篇」の暗唱が必須に近かったことだけからも、文革時の日本における中国語教育の雰囲気が感じ取れるだろう。 

「老三篇」とは、(1)中国共産党に参加したカナダ人医師の無私の献身的医療を称えた「ベチューンを記念する」、(2)人民戦争渦中で犠牲になった戦士の張思徳を追悼した「人民に奉仕する」、そして(3)老人・愚公の鉄の意志が遂には天帝を動かし、家の出入りを遮る山を平らにしてしまったという古代の寓話を題材に「決意を固め、犠牲を恐れず、あらゆる困難を克服して、勝利を勝ち取る」ことを諭した「愚公、山を移す」の3篇を一括して総称したものだ。 

 これに加え、当時大いに称えられたのが、はだしの医者だった。はだしの医者は、貧しい家庭出身で学歴は低く、高度の医療知識・技術は持たないものの、草の根の医療に貢献し、「農村の劣悪な医療環境改善の先兵」としての役割を担っていた。 

 こう見てくると、文革時に全国の農山漁村僻地で医療に当たった胡兆富の「常山県を遍く歩き、数限りない人々の命を救」おうとする波乱の人生には、ベチューン、張思徳、愚公、はだしの医者と、文革が理想とした人間像の全てが凝縮されている。胡兆富はベチューンで、張思徳で、愚公で、はだしの医者でもあるわけだ。やはり『戦士』は、95歳の老医師の人生を通して文革式人間像を描き出すことを狙った演目と考えられる。 

文芸は政治に奉仕するもの 

 習近平の文芸工作者への発言は、毛沢東の口吻を思い起こさせるに十分だ。『丹心照佤山』にせよ『戦士』にせよ、この習発言に沿っていることはもちろんだが、おそらく今後の文芸作品は、この発言から逸脱することを許されない。いわば、この習発言を超えた中国人像を表現できなくなるだろう。 

 やはり毛沢東が説くように「文芸は政治に奉仕するもの」なのである。 

 こう見てくると、習近平の考えは西側世界の予想を遙かに超えて、思いもよらないほどに文革期に近づいていると指摘できそうだ。 

 この秋に発足する予定の習政権3期目では、少数民族の存在を封殺して一体化させた《中国》の構築と、文革期に求められた理想的中国人づくりを目指すことになるのではないか。3期目に向けて備える習近平政権の姿を、『丹心照佤山』と『戦士』が問わず語りに物語っているように思えるのだ。 

 

カテゴリ: 政治 カルチャー
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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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