進化政治学で読み解くウクライナ侵攻――プーチンが陥った「自己欺瞞」の罠

執筆者:伊藤隆太 2022年6月10日
エリア: その他
ヒトラー風に描かれたプーチン ©EPA=時事
ウラジーミル・プーチンはこれまで典型的なリアリストとみなされてきたにもかかわらず、多くの政治学者の予想に反してウクライナへの大規模侵攻に踏み切った。ロシアの国益を大きく毀損しかねない決定の背景を、1980年代から欧米政治学界で盛んになっている「進化政治学」の枠組みで読み解く。

 

既存のリアリスト理論の限界

 なぜロシアはウクライナに侵攻したのだろうか。国際政治学における代表的なリアリスト理論家であるジョン・ミアシャイマー(John J. Mearsheimer)やスティーブン・ウォルト(Stephen Walt)は、ロシアのウクライナ侵略の主な原因は、NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大による勢力均衡の変化にあると見ている。ラジャ・メノン(Rajan Menon)は、ロシアによるウクライナに対する予防戦争(preventive war)であると主張している。また、リベラル的視点からも、マイケル・マクフォール(Michael Anthony McFaul)らは、西側によるウクライナの民主化支援がプーチンのウクライナ侵攻の主な原因だと主張している。

 ここから分かることは、国際政治学、とりわけリアリスト的視点や国際システムの構造レベル分析では、ロシアのウクライナ侵略には戦略的に一定の合理性があるということである。そもそもプーチン自身、これまで典型的なリアリスト政治家とみなされてきた。

 ところが、この戦争にはリアリストを悩ませる大きな問題が存在している。それは、仮にロシアの開戦それ自体は戦略的に合理的だとしても、プーチンの意思決定にはミクロな戦術的レベルで多くの非合理性がみられるということである。2022年2月24日にウクライナへの全面侵攻を強行して3カ月が過ぎ、当初の予想に反しウォロディミル・ゼレンスキー大統領率いるウクライナ国民・兵士の徹底抗戦でロシア軍は大苦戦し、進撃は停滞した。ゼレンスキー政権が全面降伏に応じず、都市攻撃も空挺部隊の展開が不十分で効果を上げず、ロシアの地上部隊はウクライナ軍の熾烈な抵抗に直面した。プーチンはウクライナの首都キーウの征服が困難と考え、3月下旬に「目標の第1段階を達成」と宣言、ウクライナ南東部に戦力を集中し、ルハンシク・ドネツク両州の完全制圧を目指す作戦へと大幅変更した。プーチンの政策には大きな狂いが生じたのである。

 しかも、ロシアによる侵攻は西側諸国の結束を促し、フィンランドとスウェーデンはNATO加盟を申請した。リアリストたちの主張するように、ロシアの侵攻目的がNATOの東方拡大を防ぐことだったとしても、結果的にさらなるNATO拡大を招いたという点では、戦略的に誤算だったと言わざるを得ない。

進化政治学の導入――自己欺瞞論とは何か

 では、こうした合理的理論(ネオリアリズム、合理的選択理論等)からの逸脱事象はなぜ起きたのだろうか。このパズルに答える上では、リアリズムに進化政治学を導入して、新たなリアリスト理論――「進化的リアリズム(evolutionary realism)」――を提示することが有益であろう。

 進化政治学とは、1980年代に米国で生まれた概念であり、チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin)の自然淘汰理論に由来する進化論的発想――進化心理学、進化生物学、進化ゲーム理論、社会生物学など――をもとに政治現象を分析するアプローチである。進化政治学には、①人間の遺伝子は突然変異を通じた進化の所産で、政策決定者の意思決定に影響を与えている、②生存と繁殖が人間の究極的目的であり、これらの目的にかかる問題を解決するため自然淘汰(natural selection)と性淘汰(sexual selection)を通じて脳が進化した、③現代の人間の遺伝子は最後の氷河期を経験した遺伝子から事実上変わらないため、今日の政治現象は狩猟採集時代の行動様式から説明される必要がある、という三つの前提がある。

 その全体像は拙著『進化政治学と平和』、『進化政治学と戦争』、『進化政治学と国際政治理論』に記したので割愛するとして、ここでは進化政治学の視点からプーチンの非合理性を説明する一つの考え方を紹介しよう。それが自己欺瞞(self-deception)である。

 自己欺瞞論は進化生物学者ロバート・トリヴァース(Robert Trivers)が最初に提起したものである。トリヴァースによれば、人間が得意としているのは、自らの利己性や欲望を自覚することなく、それを成功裏に実現することである。謙虚なようにふるまい、公共善のためであれば自らのコストを厭わないふりをしつつ、裏では着々と自己利益を追求し続ける。さらにはこうした欺瞞的な行為それ自体に自らが自覚的ではない、こうした心理・行動が自己欺瞞の核心にある。

 自己欺瞞の本質は、仮に自分が真実を語っていると信じるように自分を欺くことができれば、他人を説得するのに非常に効果的だということである。すなわち、他者を上手く騙したいなら、自分自身が自らの発言を本当に信じており、自己の力を過信している方が良いのである。ドナルド・トランプ(Donald John Trump)前米大統領は人気リアリティ番組「アプレンティス(The Apprentice)」の中で、この論理を明確に示唆している。トランプは、高価な芸術品を売るよう部下に促す際、「あなたがそれ(芸術品の価値)を信じなければ、本当に自分で信じなければ、それは決して上手くいかないだろう」と述べている。電撃戦によるウクライナ征服と「ロシア民族」の統一が可能であると信じ、それを自国民にプロパガンダ的に宣伝する。こうしたプーチンの行動は自己欺瞞の典型である。

 自己欺瞞は程度の差こそあれあらゆる人間が備えるものだが、自然界にはそれが特に強く表出されるタイプの個体が存在する。それがナポレオンやトランプをはじめとする人口の約1%に見られる、自己欺瞞を示すナルシスト的パーソナリティ障害をもつアクター(以下、省略してナルシストと呼ぶ)である。臨床心理学的に「障害」とラベリングされているにもかかわらず、進化論的には、プーチンらナルシストの自己欺瞞は、自然淘汰によって形成された適応的なものである。すなわち、それは狩猟採集時代に祖先の包括適応度(inclusive fitness)に寄与してきたもので、自己欺瞞のアドバンテージは現代でも一定程度健在なのである。つまるところ、残り99%の我々は、ヒトラーやプーチンのような、自己欺瞞を強力に備えた逸脱的な個体と滅多に遭遇しないため、自然淘汰は自己欺瞞をするナルシストへ強く抵抗するような心理メカニズムに有利に働かなかったのである。

 自己欺瞞は脳科学的には、楽観性バイアス(optimism bias)と呼ばれるものとかかわる。多くの精神的に健康な人間の脳には、肯定的事象を過大評価、否定的事象を過小評価する傾向が備わっている。この楽観性バイアスによって、人間はガンや交通事故の確率を低く見積もる一方、長寿やキャリア成功の確率を高く見積もる(これを肯定的幻想=positive illusion 効果という)。こうした意味において、プーチンやトランプがみせる過信や自己欺瞞とは、脳が生みだす楽観性バイアスの産物なのである。

プーチンの過信と「誤った楽観主義」

 以上、自己欺瞞にかかる諸概念を紹介してきたが、ここからは事例に戻ろう。それではプーチンは自己欺瞞に駆られて、何が実現できると過信していたのだろうか。それは「ロシア民族」の統一である。プーチンが2021年7月にロシア大統領府(クレムリン)のウェブサイトに発表した「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」という論文では、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」とは何かが説明されている。その要点は、①かつて大ロシア人、小ロシア人、白ロシア人と呼ばれた三つの支族からなる「ロシア民族」が存在しており、②ソ連時代の民族政策によって、この三つの支族がそれぞれロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人という別の民族であるという考え方が生み出された、というものである。つまり、元々はロシア人とウクライナ人は一体であり、「ウクライナ人」という民族はソ連時代に創造された人工物にすぎないということである。

 ロシアの政府寄りメディアの「ヴズグリャド(Vzglyad)」の政治アナリスト、ピョートル・アコポフ(Pyotr Akopov)の「ロシアの攻撃と新世界の到来」(論説記事)によれば、「ロシアの勝利」によって到来しつつある「新世界」では、反ロシア的なウクライナはもはや存在せず、大ロシア人、小ロシア人、白ロシア人からなる「ロシア民族」がその歴史的一体性を回復する。ウクライナ問題を解決することの意義は、「分裂した民族のコンプレックス」についてのものであり、安全保障上の問題はあくまで二義的なものとされている。

 プーチンは「ロシア民族」の統一が可能だと信じているため、目標を達成する上で不都合な情報は軽視され、ロシアの軍事力の強さが過大評価された。侵攻開始から2日後の2月26日、国営のロシア通信が上記の「ロシアの攻撃と新世界の到来」を(おそらく誤って)配信したが、まるで戦勝を祝うような内容の同記事はすぐに削除された。このことは、プーチンには侵攻開始から約48時間でウクライナの親米欧政権を崩壊させる計画があったことを示唆している。プーチンは侵攻前の演説でも、ウクライナを「失敗国家」と過少評価しており、軍事大国ロシアが予防戦争を開始すれば、首都キーウの「無血開城」も可能だと予想していたのであろう。

 キーウ攻略のため極東地域から投入した東部軍管区の装備は近代化率が低く、ソ連時代の戦車も使用している状況であった。米国防総省高官は、ロシア軍の大多数が志願兵でなく徴兵された若い兵士で、戦闘に参加することを知らされていなかった兵士もおり、その士気の低さを指摘している。米国はプーチンの側近が彼を恐れて誤情報を伝えていることを発表し、プーチンがそうした誤った情報に基づいて、「誤った楽観主義(false optimism)」を抱いている可能性を示唆している。

戦争を理解するために人間の本性を直視する

 さて、こうした自己欺瞞に駆られたプーチンの過信はミクロ経済学的合理性からの逸脱事例だが、これはプーチンに固有のものなのだろうか。答えは否である。実際、国際政治の舞台は、このような逸脱的な自信を持つ指導者であふれている。国家の安危にかかる和戦の決定をめぐり指導者が抱く過信は、戦争の重大な原因となり、しばしば対外政策の失敗――誤認識、インテリジェンスの失敗、勝ち目のない開戦、リスクの高い軍事計画等――をもたらすとされている。このことはゲオフリー・ブレイニー(Geoffrey Blainey)、スティーブン・エヴェラ(Stephen Van Evera)、ドミニク・ジョンソン(D. D. P. Johnson)をはじめとした、多くの有力な安全保障研究者により主張されてきた。つまるところ、進化政治学が明らかにするところは、古典的リアリズムが説いてきたように、人間には戦争に向けた本性が備わっているということであり、自己欺瞞はその際、戦争に至る因果メカニズムの一つなのである。

 

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執筆者プロフィール
伊藤隆太(いとうりゅうた) 広島大学大学院人間社会科学研究科助教、博士(法学)。 2009年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科前期および後期博士課程修了。同大学大学院研究員および助教、日本国際問題研究所研究員を経て今に至る。戦略研究学会編集委員・書評小委員会副委員長・大会委員、国際安全保障学会総務委員、コンシリエンス学会学会長。政治学、国際関係論、進化学、歴史学、哲学、社会科学方法論など学際的研究に従事。主な研究業績には、『進化政治学と国際政治理論――人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ』(芙蓉書房出版、2020年)、『進化政治学と戦争――自然科学と社会科学の統合に向けて』(芙蓉書房出版、2021年)、『進化政治学と平和――科学と理性に基づいた繁栄』(芙蓉書房出版、2022年)がある。
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