屋良朝苗:駆け抜けた激動の8年

執筆者:野添文彬 2022年6月12日
タグ: 日本 アメリカ
エリア: アジア 北米
復帰記念事業として行われた沖縄国際海洋博覧会(C)時事
1974年1月、日米政府が那覇軍港や牧港住宅地区などの返還で合意したが、屋良朝苗はむしろ「沖縄の基地固定化」につながると反発を覚えた。その2年度、様々な課題を残しながら知事を退任し、激動の8年を駆け抜けた。

 

植樹祭「天皇出席」への反対世論

 日本復帰に合わせて、沖縄では沖縄復帰記念植樹祭、復帰記念沖縄特別国民体育大会(若夏国体)、沖縄国際海洋博覧会といういわゆる「復帰三大事業」が進められたが、いずれも様々な混乱に直面する。

 それらは、沖縄戦とその後の27年間の米国統治によって生じた日本本土と沖縄の溝を示すものとなった。

 沖縄復帰記念植樹祭は、各地を巡回して開催されてきた全国植樹祭のうち、復帰を記念して特別に開催したものだった。問題となったのは、慣例である植樹祭への天皇出席に対して、沖縄で反対世論が高まったことである。屋良自身は、個人的にも天皇を尊敬しており、また沖縄だけ例外は認められないとして天皇出席を要請する意向だったが、革新与党や団体から激しい反対の声が高まり、結局屋良は出席を要請しなかった。

カテゴリ: 政治
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
野添文彬(のぞえふみあき) 沖縄国際大学法学部 地域行政学科准教授。1984年生まれ。一橋大学経済学部卒業後、同大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は国際政治学、日本外交史、沖縄基地問題。主な著書に『沖縄返還後の日米安保: 米軍基地をめぐる相克』(吉川弘文館/2016年)、『沖縄米軍基地全史』(吉川弘文館/2020年)がある。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top