
北朝鮮は8月24日未明、軍事偵察衛星「万里鏡1号」を発射。しかし、飛行中に異常が起きて軌道への投入に失敗したと発表した。
日本政府は沖縄県を対象にJアラートを発令、いくつかの日本メディアでは「弾道ミサイルの発射」とも報じられたが、得られている情報から分析する限り、今回発射されたのは北朝鮮の発表通り「軍事偵察衛星」とみるべきだろう。というのも、北朝鮮は2021年の朝鮮労働党第8回大会において「国防科学発展及び武器体系開発5カ年計画」(以下、国防5カ年計画)を提示、その中で「軍事偵察衛星」の開発と運用化を目標のひとつとして掲げているのである。
「キルチェーン」の完成に不可欠な「目」
金正恩(キム・ジョンウン)委員長は国防5カ年計画において、核兵器の小型・軽量化、戦術核兵器、超大型核弾頭、極超音速滑空飛行弾頭、固体燃料推進式大陸間弾道ミサイル(ICBM)、複数個別誘導再突入体(MIRV)、無人偵察・攻撃機、原子力潜水艦、軍事偵察衛星の開発と運用化といった様々な目標を謳っている。このうち、原子力潜水艦をのぞけば、実際の性能や運用能力はさておき、そのほとんどがすでに開発され、一部は既に実戦配備まで進められている。北朝鮮はこの他にも、サイバー・電子戦能力の強化や、一部の陸上と海上通常兵器の更新も進めている。
北朝鮮はここ数年、国防5カ年計画の下、各種戦略・戦術弾道ミサイルの他、極超音速滑空弾、巡航ミサイルなど、作戦や標的に応じて使い分ける多種多様なミサイルを開発し、発射を繰り返してきた。また、発射形態を見ても、性能を検証する実験だけでなく、指揮統制・管制、部隊の練度の確認と向上を目的とした訓練の質と頻度も上がっている。特に、部隊を待機させ、あらゆるタイミングで即時発射させる、「抜き打ち発射訓練」も行っている。この他にも、数十分ほどの間で、複数発のミサイルを発射するなど、飽和攻撃を実施できるほど、指揮統制・管制もかなり向上していると見られる。
しかし、ミサイルの性能と発射する能力こそ向上しているものの、朝鮮人民軍のミサイル攻撃能力には欠けている重要な能力がひとつあり、それが軍事偵察衛星である。敵を攻撃する際には、①目標識別と状況把握、②攻撃の意思決定、③攻撃の実行という一連の流れ、すなわち「キルチェーン」に沿って行う必要がある。北朝鮮の場合、この第一段階である目標識別の能力が決定的に足りない。いくらミサイルの種類を増やし命中精度を上げても、ターゲットをみつける「目」がなければキルチェーンは完成しない。
この意味で、軍事偵察衛星は北朝鮮の国防計画にとってカギとなるアセットであり、その獲得を目指すのは極めて合理的である。
北朝鮮は今年5月にも同じく軍事偵察衛星の打ち上げを試みて失敗している。その時は「速やかに2回目の打ち上げを行う」と宣言したものの、時期は明示しなかった。今回その2回目も失敗に終わったわけだが、今度は「10月に3回目の打ち上げを行う」とわずか2カ月以内での再挑戦を発射した数時間後に明言した。これは、失敗の原因を即時に特定できており、技術の進歩に自信を深めている証左であろう。
ただし、例え北朝鮮が偵察衛星を軌道に乗せられるようになったとしても、肝心なのは、運用化である。特に、情報収集だけでなく、データ交信・解析・活用能力が不十分である場合、キルチェーン自体が不完全に終わることになる。
また、軍事偵察衛星は1基だけ打ち上げたところで機能しない。任意の地点を常時監視するには、最低5基、できれば10基ほどの衛星を軌道に投入する必要があり、仮に10月に3度目の正直で打ち上げに成功したとしても、北朝鮮が必要な偵察能力を獲得するにはなおしばらく時間がかかるとみられる。
「錆びたナイフでも使い方によって人は殺せる」という発想
筆者は国際会議の場などで北朝鮮の実務者や専門家と話したことがあるが、彼らは体制に対して不動な忠誠心を持ちながらも、現実を自覚し戦略を熟知している人々であり、決して「思想バカ」ではなかった。
北朝鮮は1960年代から、「全軍幹部化」、「全軍現代化」、「全人民武装化」、「全国土要塞化」の四つからなる「自衛的軍事路線」という軍事計画ドクトリンを展開し、自主的な軍事力と兵器の国産開発能力の強化を進めてきた。北朝鮮が開発するミサイルなどの軍事技術は、米国はもちろん、日本や韓国と比べても大幅に見劣りする。しかし、彼らは自分たちの国力の限界を冷静に把握しており、その上で100%の技術を求めず、戦略目的である「(北主導の)朝鮮半島の統一」と「朝鮮労働党独裁体制の維持」を米国に阻害されないために必要十分な機能だけを追求している。
ミサイル性能でいえば、米国の弾道ミサイルの半数必中界が数メートルとされるのに対し、北朝鮮のそれは数キロ以上ともいわれていた。しかし、近年ではその精度も次第に高まり、短距離弾道ミサイルでは朝鮮半島東海岸沖合の無人島に度々命中し、また我が国の領海に入らず、EEZ(排他的経済水域)内に「落とす」ようになった。このため、たとえピンポイントでなくても、核兵器であれば標的に大規模な破壊を与えるには十分といえる。
偵察衛星にしても、カメラやセンサーのクオリティや地上との通信性能、さらに送られたデータの処理能力などでは西側先進国の水準には追い付かないであろうが、朝鮮半島有事に米国を介入させないという目的に照らして有用であればそれでよいのだ。
この北朝鮮の軍事技術に対する考えは、単に限られたキャパシティーだけではなく、非対称戦を重視した朝鮮人民軍の遺伝子から来るものである。北朝鮮は日米韓が技術的に優位であることを自覚しているが、ある程度の兵器能力さえ揃えば、ハイブリッド戦争や非対称戦、コスト強要戦略(cost-imposing strategy)に基づいた作戦で相手の弱点や重心を突くことができると計算している。端的に言えば、「錆びたナイフでも使い方によって人は殺せる」という発想である。
先制使用も辞さない「核ドクトリン」を採択
こういった発想のもと、北朝鮮は国防5カ年計画を粛々と実行に移していることがわかる。5カ年計画が策定されたのは前述のとおり2021年であるが、金委員長は計画の前倒しも視野に入れており、早ければ2025年の半ばにも計画の達成を宣言する可能性がある。“焦り”の背景には、日米韓の防衛力と3カ国安全保障協力の強化だけでなく、ロシアによるウクライナ侵攻の影響も垣間見える。
北朝鮮最高人民会議は昨年9月、「核使用法令」を採択したが、これは「どのような状況になったら核兵器を使用するか」という、いわば「核戦力ドクトリン」に他ならない。

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