ハイチへの多国籍治安支援(MSS)ミッションが映す国際平和活動の新しい形と「対テロ戦争」の影(下)

ハイチにおける国連PKOの苦難
アメリカは、20世紀初めにハイチに軍事介入してそのまま占領統治をした歴史を持つ。ハイチにとっては嫌悪の対象であると同時に、畏怖の対象でもある。アメリカの軍事介入以外の手段でハイチの治安回復を図ることは不可能だ、という声も根強い。もっともハイチは、アメリカにとっても鬼門と言える場所だ。アメリカは1994年にもハイチに軍事介入を行ったが、その結果が今の状態である。二度と介入したくないと思うのも、無理はない。
ハイチでは、1991年のクーデター後に軍政が続いていたが、交渉による解決の機運を捉えて1993年に「国連ハイチ・ミッション(UN Mission in Haiti: UNMIH)」が展開することになった。しかし軍政が民政復帰の約束を反故にする行動に出たことにより、1994年にアメリカ軍が介入して軍政を倒し、ジャン=ベルトラン・アリスティド大統領を復権させた。その後、アメリカは再び国際機関の活動の支援者に回り、介入の負担の軽減を図る政策をとったが、うまくいかなかった。
UNMIHは1996年に活動を終了させ、ハイチ警察の訓練に特化した目的を持つ「国連ハイチ支援団(UN Support Mission in Haiti: UNSMIH)」に、さらに1997年に「国連ハイチ暫定ミッション(UN Transition Mission in Haiti: UNTMIH))に、そして同じ1997年のうちに「国連ハイチ文民警察ミッション(UN Civilian Police Mission in Haiti: MIPONUH)」へと引き継がれていった。これらは縮小していく段階に対応したミッションの転換によるものだが、いずれもが国連PKO(平和維持活動)ではある。
MIPONUHは、それまで「米州機構(Organization of American States: OAS)」主導で展開していた「ハイチ国際文民ミッション(Mission Civile Internationale en Haïti: MICIVIH)」とともに、2000年に「ハイチ国際文民支援ミッション(Mission Internationale Civile d‘Appui en Haiti: MICAH)」へ、国際的な支援活動の主体を譲る。MICAHは、国連総会のコンセンサスの決議で設立されたPKOではない平和構築ミッションとして位置付けられた。そしてこのMICAHも、2001年に活動を終了させる。
これは一見すると、ハイチの安定化に向けた国際社会の努力の成果が、段階的な縮小とともに結実していく過程であるかに見える。しかしハイチの警察機構が真に立て直され、国家の脆弱性が克服されたわけではなかった。
アリスティド大統領は選挙で不正を行って居座っていると糾弾される不穏な情勢が続く中、2004年にギ・フィリップによるクーデターが起こる。フィリップは2000年までハイチ国家警察(HNP)の機構内で署長を務めていた人物だったが、クーデター企図の嫌疑で告発されて罷免され、ドミニカ共和国に逃れていた後に、他の反政府の人々とともに、ハイチに戻って政府を転覆させたのである。……

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