国益判断なきパレスチナ「国家承認」見送りの落とし穴

執筆者:篠田英朗 2025年9月30日
エリア: グローバル
本来、ある国家を承認するか否かは、日本の国益の観点から判断し説明すべき事柄だ[パレスチナの国家承認について記者会見する岩屋毅外相=2025年9月19日、外務省](C)時事
日本は、パレスチナの国家承認を見送ることに、損失を上回る利益を見出した。だが、日米同盟のために中東問題に関する判断で世界各国との友好関係を犠牲にする状況は、本当に不可避だったのか。「グローバルサウスを取り込む」という外交戦略を謳いながら、インドネシアやマレーシア、トルコといった有力な非アラブ・イスラム国家との外交関係を発展させる機会を逸しており、失う国益は大きい。

 日本はパレスチナ国家承認を見送った。二国家解決を掲げながら承認を拒む姿勢は矛盾し、実際には米国の意向を優先した判断とみられる。結果として国際社会の多数派から乖離し、信頼低下のリスクを抱えた、と言わざるを得ない。国家承認を見送った理由について、本来は、国益に基づき説明すべきである。日本が中東和平を口実に曖昧な説明を行ったことは、かえって外交的な誤魔化しに映っている。

「二国家解決」を支持する立場との矛盾

 これまでパレスチナの国家承認をしていなかった複数の欧州諸国等が、特にG7構成国であるイギリス、フランス、カナダが承認に動いたことから、日本も承認を検討していた。しかし見送りを決定した。

 岩屋毅外務大臣の説明によれば、パレスチナ国家を承認しても、中東和平につながるとは限らないから、という理由であるそうだ。控えめに言って、理解が難しい理由である。
日本は「二国家解決」を目指すとしている。とすれば、二つの国家を認めるのが、原則的な対応のはずだ。一つだけを認めない状態を続けることに、大きな理由付けが必要になる。

 つまり日本は、「二国家解決」が中東和平への道だが、パレスチナを国家承認するのは中東和平に役立たない、と言っているわけで、普通に考えれば、矛盾である。

 岩屋外務大臣は、「いつか承認する」と言うが、とすれば「今は二国家解決が中東和平に役立たないが、いつか役立つ時が来ると信じている」といったことを言っているにすぎないことになる。日本にとって「二国家解決」は、和平が成立した暁には成立する遠い将来の夢物語の願望であって、現在目指している政策のことではない、ということだ。

 一部報道では、アメリカから、国家承認をしないように、という働きかけがあったという。岩屋外相は「明示的な要請」はなかったと説明した。しかし、トランプ政権がパレスチナ国家承認の動きが広がることを警戒していること、そしてそれを日本が気にしていることは、今さら説明する必要もないことだ。

 外交当局としては、慎重かつ穏便な判断をしたつもりかもしれない。しかし、国家承認が中東和平に役立たないという認識を披露したということは、新たに国家承認をする欧州諸国等を含めて、国家承認をしている世界の150カ国以上の諸国が、中東和平を阻害している、と日本は考えている、と世界に表明したことを意味する。

 アメリカとイスラエル及び(イスラエルが熱心に援助している)太平洋島嶼国など一部の諸国を除いて、日本は世界の大半の諸国に、「あなた方の中東和平の理解は間違っている」という挑戦をしていることになる。これは日本の外交当局が考えている以上に、大胆な行動である。

自国の利益を中心に据えて議論すべし

 そもそも中東和平の行方といった机上の空論を持ち出して、国家承認の見送りを説明した態度に、疑問が残る。国家の承認は、他の主権国家が、主体的な判断をもって行うべき行為だ。そこに承認する側の国益が反映されてくることは、折り込み済だ。たとえばコソボについては、世界のおおよそ半分の国が国家承認しているが、半分は国家承認していない。このことが非常に中途半端な地位をコソボのような国に与えるが、仕方がない。国際社会というのは、そういうものだ。

 国際法は、国家承認という特別な行為を行う権能を主権国家だけに認めている。それぞれの主権国家の国益の確保を図り、利益の調整を求めているからだ。コソボの国家承認が、ある国の国益に著しく反するのであれば、それはコソボがそういう存在だからだ。超越的な世界政府がない以上、個々の主権国家の国益を積み重ねていきながら、国際社会全体の秩序も維持していかなければならない。

 日本がパレスチナ問題において、特別に厳しい基準を持つ審査員であるかのような振る舞いをしてみたところで、誰も納得しない。日本はアメリカの意向をくむことによって、軍事同盟関係を持つアメリカとの関係を破綻させない、という国益の確保を行った。これは中東和平の行方などとは、基本的に全く関係のないことである。逆にパレスチナの国家承認が、日本の国益に合致するのであれば、曖昧な理由を持ち出すまでもなく、国家承認すればよい。国益にそった説明を施すことによって、果たしてその判断は妥当なものであったかどうかに関する議論が発展しうる。

 日本は、パレスチナ国家承認を見送ることによって、国際社会でますます少数派になって、信頼感を低下させるリスクも抱えることになった。承認を見送り続けているのは、アメリカとイスラエル、ホロコーストの歴史的傷跡が深い中欧・東欧諸国、そしてイスラエルが支援提供したりしている太平洋島嶼国の他には、ミャンマーやエリトリアのような軍事独裁政権国家などだけになった。この少数派グループに残り続けていても、国益上のメリットは乏しい。早く和平を望む立場を表明している国際社会の多数派に入ったほうがいい。

 承認のタイミングを見極めるハードルを高く設定しすぎると、外交的な重荷になる。次に何らかの和平合意に向けた進展があった際に、それを後押しする、という名目で、承認に踏み切るべきだろう。同じような立場に陥ってしまった韓国と連携して、同じようなタイミングで表明できれば、望ましい。

なぜ今、国家承認なのか

 確かに、パレスチナ自治政府の実力は整っていない。だがそれにもかかわらず、今回多くの国々が、国連総会での「ニューヨーク宣言」採択のタイミングにあわせて国家承認を表明する判断をした。それは、ガザ危機の惨状を見たうえで、和平を目指して政治的後押しをするグループに入ったほうがいいと判断したためだ。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
篠田英朗(しのだひであき) 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程、ロンドン大学(LSE)国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士(Ph.D.)。国際政治学、平和構築論が専門。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験を持つ。日本政府から派遣されて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で投票所責任者として勤務。現在も調査等の目的で世界各地を飛び回る。ロンドン大学およびキール大学非常勤講師、広島大学平和科学研究センター助手、助教授、准教授を経て、2013年から現職。2007年より2024年まで外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築入門』、『ほんとうの憲法』(いずれもちくま新書)、『憲法学の病』(新潮新書)、『パートナーシップ国際平和活動』(勁草書房)など、日本語・英語で多数。
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