
7月28日に開催される日米「2プラス2」(外務・防衛閣僚会議)は、今春の日米首脳会談で打ち出された同盟強化が具体化される道筋の重要な結節点だと言える。特に、日米間での指揮・統制の枠組み向上については、今年度末にも創設される自衛隊「統合作戦司令部」と米軍の間の指揮権調整が焦点だ。近著『日米同盟の地政学―「5つの死角」を問い直す』(新潮選書)で日本の安全保障の課題を捉え直した千々和泰明氏が、同盟国・同志国間の連携強化のあり方を多角的に考察する。
岸田=バイデン日米共同声明で示された指揮権調整・統制の枠組み向上
今年4月10日におこなわれた岸田文雄総理とジョー・バイデン米大統領との日米首脳会談で発表された共同声明では、「日米同盟を更に前進させるためのいくつかの新たな戦略的イニシアティブ」が提示された。そしてその第一に挙げられたのは、「平時及び有事における自衛隊と米軍との間の相互運用性及び計画策定の強化」のために、「二国間でそれぞれの指揮・統制の枠組みを向上させる」ことであった。
日米間での指揮・統制の枠組み向上は、同共同声明でも言及されている日本側での「統合作戦司令部」の創設と関連している。本年5月10日に成立した自衛隊法改正案により、同司令部は2024年度末にも東京・市ヶ谷の防衛省内に設置される見通しである。
この統合作戦司令部創設にあたっての課題については、2024年度予算案において、①「臨時の統合任務部隊では情勢の推移に応じたシームレスな対応が困難」、②「領域横断作戦を実施し得る統合運用態勢の確立が不十分」、③「米インド太平洋軍司令部と調整する機能が不足」という三点が提示されていた。このうち③の課題は、同盟国同士の指揮権調整問題に関連するものといえる。二カ国以上の部隊が参加する「連合」作戦を実施する場合に、部隊を指揮する権限を同盟国同士でどのように調整するかという問題である1。
日米同盟においてこのことは、日本側と、アメリカのインド太平洋地域の地域統合軍でありハワイに司令部を置くインド太平洋軍司令部とのあいだで図られることになる(在日米軍司令官に在日米軍の指揮権はない)。日本側で統合作戦司令部を創設することにより、指揮権調整の面での日米間の連携強化が期待される。
そこで本稿では、4月に新潮選書より刊行された拙著『日米同盟の地政学―「5つの死角」を問い直す』の内容を踏まえつつ、統合作戦司令部創設の意義を、同盟国、さらには同志国等との連携強化という観点から論じてみたい2。なお本稿は、日米間で指揮権を統一すべきだ、と主張するものではないことを最初にお断りしておく3。
想定される統合作戦司令部の組織体制
統合作戦司令部の創設については、2022年に策定された「安保三文書」を構成する「国家防衛戦略」のなかで、「統合運用の実効性を強化するため、既存組織の見直しにより、陸海空自衛隊の一元的な指揮を行い得る常設の統合司令部を創設する」とされていた(その後「統合作戦司令部」と仮称)。
統合作戦司令部の創設により、陸海空三自衛隊は平時から一元的に同司令部の指揮を受けることになる。その際、統合作戦司令部のトップとなる「統合作戦司令官」は、陸海空幕僚長と同格の将官が務め、陸上総隊、自衛艦隊、航空総隊、自衛隊サイバー防衛隊、宇宙作戦群を指揮する。
同司令官の下、司令部には統合作戦副司令官、幕僚長、統合作戦司令官補佐官、総務官、情報部、作戦部、後方部、指揮通信官、法務官が配され、240名態勢でスタートすることが想定されている。
同盟国間の指揮権調整のバリエーション:韓国・台湾(~1980年)・日本
ところで、同盟国同士の指揮権調整の在り方として、一般的には指揮権「一体」型と「並列」型がある。前者の例として、たとえば第二次世界大戦のヨーロッパ戦線では、アメリカ人であるドワイト・アイゼンハワー将軍(戦後に大統領)が、西側連合軍全体の指揮をとった。現在でも、NATO(北大西洋条約機構)では司令官にアメリカ人、副司令官にはイギリス人、ナンバー3の参謀長にはドイツ人をあてるかたちで、ヨーロッパ連合軍最高司令部という連合軍司令部体制を有している。これに対し、指揮権を統一するのではなく切り分けておくという体制もありうる。
それでは東アジアにおけるアメリカとその同盟国のあいだの指揮権調整は、それぞれどのような経緯で、いかなる体制を採用してきたのであろうか。
- ■韓国:将来の米韓連合軍は「韓国人司令官の指揮下」に
1950年6月、北朝鮮が北緯38度線を突破して韓国に侵攻し、朝鮮戦争が勃発する。これに対しアメリカ軍を中心とする国連軍が韓国防衛のために介入すると、韓国の李承晩大統領は7月に韓国軍の指揮権をアメリカ人である国連軍司令官(ダグラス・マッカーサー元帥)に移譲した。1953年7月に朝鮮戦争休戦協定が結ばれたのちも、アメリカ軍は同年10月の米韓相互防衛条約にもとづいて引き続き韓国に駐留した。
国連軍司令官が保持する韓国軍への指揮権(作戦統制権)は、1978年に「米韓連合軍司令部」が創設されたのにともない、米韓連合軍司令官に移譲された。ただし両司令官ポストは、同一人物が兼務することとなっている。平時から設置されている米韓連合軍司令部は、司令官にアメリカ人、副司令官に韓国人を配し、アメリカ人たる米韓連合軍司令官が、在韓米軍と韓国軍から成る米韓連合軍の指揮権を持つ。その後、平時の指揮権は1994年に韓国側に返還され、有事指揮権についても返還に向けた検討が進められている。
ただし有事指揮権が返還された場合であっても、2018年の米韓合意では、正副司令官の配置をアメリカ・韓国間で逆転させたうえで、連合軍司令部体制自体は存続するとされている。つまり、米韓連合軍が韓国人司令官の指揮下に置かれる体制である。
- ■台湾:「構想」に止まった米国との有事指揮権統一
1949年、国共内戦に敗れた国民党は台湾に逃れた。しかし台湾の蒋介石総統は、中国本土を追われたのちも、大陸の共産党政権への反攻作戦、すなわち「大陸反攻」をあきらめきれていなかった。
こうしたなか、蒋介石は1953年6月に米太平洋艦隊司令官アーサー・ラドフォード提督と会談し、台湾軍が中国大陸への上陸作戦をおこなうのをアメリカ海・空軍が支援する場合に、艦船の出航後、地上軍が指揮をとるまでの間、アメリカ海軍に指揮権を委譲すること、さらに上陸の初期段階の作戦にアメリカ軍が参加する場合に、アメリカ軍が撤退するまで、アメリカ側が全地上軍の指揮をとることなどを協議した4。
ただ、米台間の有事指揮権統一は、そうした構想が話し合われたにとどまったようである。そもそもそこで想定されていた有事とは、台湾側による大陸反攻という、現実味を欠いた状況であった。そして米台同盟自体、1979年の米中国交正常化の結果、1980年に終了する。
- ■日本:指揮権並列型体制
日米同盟成立時の事情を振り返ると、もともとアメリカは日本とのあいだで指揮権一体型の体制をとろうとしていた。具体的には、日本占領末期におこなわれた日米行政協定(1951年9月に署名された旧日米安全保障条約の細目として1952年2月に署名。現在の日米地位協定)締結交渉において、有事の際、日本の実力組織(当時は警察予備隊)は「アメリカ政府によって任命される最高司令官の統一指揮の下に置かれる」とする条項を同協定に盛り込むことを主張していた5。これに対し日本側は、「日米の平等対等関係は消失」することになり、かつ「憲法上の問題がある」ため、アメリカ案の受諾は「至難」と返答した6。結局アメリカ側が求めたような規定は日米行政協定には含まれなかった。
ただし、旧日米安保条約締結交渉終了後の1952年7月23日、吉田茂総理はマーク・クラーク米極東軍司令官に口頭で、「有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状の下ではその司令官はアメリカによって任命されるべきである」と約束したとのアメリカ側の記録が公開されている7。1957年まで日本駐留米軍は「極東軍」と呼ばれ、東京に司令部を置き(当初はGHQ〔連合国軍最高司令官総司令部〕と同一組織)、ハワイの米太平洋軍(現米インド太平洋軍)から独立していた。
その後1978年に策定された「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)のなかで、日米同盟においては指揮権並列型体制をとることが初めて公式に明文化された。2015年に改定したガイドラインでも、「自衛隊及び米軍は、緊密に協力し及び調整しつつ、各々の指揮系統を通じて行動する」と規定されている。したがって日米同盟では、平時はもとより、有事においても、自衛隊とアメリカ軍の指揮権は統一されず、単一の連合(軍)司令官も立たず、連合(軍)司令部も設立されない。
指揮権並列型体制下での調整円滑化の論点とは
朝鮮戦争を戦った韓国や、大陸反攻にこだわった台湾が、アメリカとの指揮権統一に踏み切るか、あるいはこれに前向きな反応を示したことと、日本のケースはかなり異なる。たしかに指揮権調整の在り方は同盟によって多様であろうから、指揮権一体型と並列型のどちらが理想的かは一概には言えない。ただ日本の場合は、アメリカとのあいだで指揮権を切り分けておくことが重視される一方、そのような指揮権並列型体制下で日米間でどのような連携を図っていくかの検討は長らく十分ではなかったといえる。
この状況に変化が見られたのが、「1997年ガイドライン」で「日米共同調整所」を設置するとうたわれたことである。また、続く2015年ガイドラインでは、「同盟調整メカニズム」(ACM)の設置が規定された。このように近年の日米間の指揮権調整は、並列型体制を前提に、実効的な日米共同対処のための情報共有や政策・運用面での調整の円滑化を図るかたちで発展してきた。統合作戦司令部の創設は、1997年ガイドライン以来のこうした流れを推し進めるものと評価できるだろう。
今後の方向性としては、統合作戦司令部をACMの構成組織に加えることや、組織改編されたアメリカ軍と日本側の統合作戦司令部を連携させることなどが議論されている。後者については、アメリカ軍の調整組織を日本に新設する、在日米軍司令官の階級を現在の中将から大将に格上げし、限定的な指揮権を付与する、インド太平洋軍司令官の隷下にある太平洋艦隊司令官をヘッドとする統合任務部隊を常設化する、などの案が報道されている。
また4月4日にリチャード・アーミテージ元米国務副長官やジョゼフ・ナイ・ハーバード大学教授らアメリカの知日派専門家グループが発表した報告書でも、日米間の指揮権並列型体制を前提とした「常設の連合二国間計画・調整事務所」の設置などが提言された。こうした具体策については、今後日米安全保障協議委員会(2プラス2)などの場で協議されると見られている。
地域全体のなかでの位置づけ:日米韓の提携に向けて
もう一つの論点は、日米間の指揮権調整の在り方を、地域全体のなかに位置づけることである。2023年1月の日米2プラス2共同発表においてアメリカ政府は、日本の統合作戦司令部設置を「二国間調整を更に強化する」という文脈で歓迎するとした。それと同時に、「パートナー国との効果的な調整を向上させる必要性」を共有するとも述べている。ここで言う「パートナー国」に、たとえば韓国が入ると考えることは不自然ではないだろう。同じ年の8月に、岸田総理、バイデン大統領、そして韓国の尹錫悦大統領がアメリカ大統領の保養地キャンプ・デービッドでの会談で日本・アメリカ・韓国三国間の安全保障上の連携強化で一致したことは周知の通りである。
実際に日本の統合作戦司令部と米韓連合軍司令部との関係構築は今後の論点であろう。たとえば朝鮮有事の一環として日本が北朝鮮からミサイル攻撃を受けた場合、日米共同の反撃作戦と、米韓連合軍による対北朝鮮作戦は、現状では別々の指揮系統でおこなわれることになる8。そうした対応を前提とするならば、米韓同盟側と日米同盟側のすり合わせが重要になるだろう。
このことは、2022年安保三文書が「反撃能力」9保有の方針を打ち出したことで重要性が増したといえる。三文書策定時に韓国外務省は、日本が朝鮮半島の安全保障や韓国の国益に重大な影響を及ぼすかたちで反撃能力を行使する場合、韓国との事前協議と同意が必要だとの立場を示した。ただ、たとえば日本が北朝鮮への反撃能力の行使を迫られるような緊急事態を想定してみると、いきなり韓国側と事前協議を開いて同意までとりつけていては間に合わなくなる可能性があるのではないか。
一方で、こうした局面における日本・アメリカ・韓国の提携は重要である。そこで日本の統合作戦司令部には、平素からハワイのみならず、米韓同盟側とも関係を構築していくことが期待されよう。
実際に近年のアジア太平洋では、「ハブ・アンド・スポークス」型同盟網を基本としながらも、条約上の同盟国ではない国同士の安全保障上の関係が深まりつつある。ラーム・エマニュエル駐日米大使が言う「格子状の構造」(“lattice-like” structure)である。統合作戦司令部には、指揮権調整の面から、そうした同盟国・同志国等との連携強化への貢献が期待されるだろう。
※本稿は筆者個人の見解であり、所属組織とは無関係です。
- ◎千々和泰明(ちぢわ・やすあき)
防衛省防衛研究所主任研究官 1978年生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士課程修了。博士(国際公共政策)。内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)付主査などを経て現職。この間、コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。専門は防衛政策史、戦争終結論。著書に『安全保障と防衛力の戦後史 1971~2010』(千倉書房、日本防衛学会猪木正道賞正賞)、『戦争はいかに終結したか』(中公新書、石橋湛山賞)、『戦後日本の安全保障』(中公新書)、『日米同盟の地政学―「5つの死角」を問い直す』(新潮選書)など。
1 連合(combined)が国家間の軍のまとまりを指すのに対し、「統合」(joint)は一国内の陸海空軍などの異なる軍種がまとまることを意味する。
2 統合作戦司令部をめぐってはこれ以外にも統合幕僚監部との任務の切り分けや既存の自衛隊司令部の見直しなど、様々な論点があるだろうが、本稿では扱わない。
3 統合作戦司令部創設を含む自衛隊法改正案の国会審議において政府は、「指揮権が分かれているということ、そのことによる不都合はない」と答弁している。第213回国会衆議院 安全保障委員会第7号令和6年4月11日<https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=121303815X00720240411¤t=1>(2024年7月3日アクセス)。
4 松本はる香「第一次台湾海峡危機をめぐる大陸沿岸諸島の防衛問題の変遷―『蒋介石日記』および台湾側一次史料による分析」『アジア経済』58巻3号(2017年9月)30頁。
5 “Administrative Agreement Between the United States of America and Japan to Implement Provisions of the Agreement They Have Entered into for Collective Defense,” 「平和条約の締結に関する調書IV」、外務省、247頁、<https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/heiwajouyaku2_06.pdf>(2024年7月3日アクセス)。
6 「第11回非公式会談」(1952年2月16日)「調書VIII」329-331頁 <https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/heiwajouyaku5_16.pdf>(2024年7月3日アクセス)。
7 “CINCFE to Department of Army, C52588,” July 26, 1952, 石井修・植村秀樹監修『アメリカ合衆国対日政策文書集成 アメリカ統合参謀本部資料 1948-1953』(15)柏書房、2000年、214-215頁。
8 岩田清文・武居智久・尾上定正・兼原信克『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』新潮新書、2021年、120-123頁。
9 日本に対する弾道ミサイル攻撃などがおこなわれた場合に、相手の領域において、日本が有効な反撃を加えることを可能とする、スタンド・オフ(敵の射程圏外)防衛能力などを活用した自衛隊の能力。