ウクライナと中東でミサイルが飛び交い、日本周辺の緊張も高まる近年、世界が分断されていく危険が増大している。こうした中、日本国内でも有事BCP(事業継続計画)を作成する企業が増えている。リスクは有事だけではない。中国では反スパイ法の運用が強化されたことから、台湾では中国への渡航情報を4段階中の3段階目(日本でいうところの渡航中止勧告)にまで引き上げている。日本人のアステラス製薬社員も、拘束されてから1年半がたち、先日起訴された。この他にも海外では現地政府・警察による逮捕の他にも、身代金目当ての誘拐や通り魔、テロや暴動への巻き込まれなどの多くのリスクがある。
筆者は陸上自衛官として33年間の勤務の中で、外務省に2年間出向し、海外への出張も多く経験した。退官後も安全保障関係の講演の依頼をいただくが、最近は海外安全や社員退避のタイミングについて質問されることが多い。本稿では、こうした海外でのリスクに対応するため、渡航者自身の心構え、行うべきこと、行うべきでないこと、そして社員を海外に派遣する企業が考えておくべき退避判断の基準について簡単に紹介したい。
心構え――自分と家族の安全は自分で守る
海外に赴任・出張する人は、当初は緊張から、自分の身の回りのことを心配するであろう。しかし、緊張するだけでは、自分の身は守れない。必要なのは知識と、知識を実践する行動力である。同様に行動しない力も必要となってくる。
海外では、「自分の安全は自分が守る。家族の安全も自分が守る」という強い自覚が大切だ。そのために、知識で武装をする。家族にもその知識を伝え実践させることが大事だ。
その第一歩は、常に周囲に気を配り、危険には近づかないことである。君子危うきに近寄らず。次に、行うべきことについて見ていきたい。
行うべきこと――情報収集と日頃の準備
第一に重要なのは情報だ。赴任先では情報は自ら集め、現地の歴史、宗教、文化、習慣を知り、尊重することが、自分の身を守りビジネスを成功させることにもつながる。正確な現地情報を得るのは、実はそんなに難しいことではない。外務省の海外安全HPや「国・地域」情報、現地日本国大使館のHPなどを調べれば、信頼性が高く必要な現地情報を収集することができる。これが第一段階だ。
第二段階は、自分の安全を脅かす情報の確認だ。テロ組織より怖いのは、現地の治安機関である。恣意的な不当逮捕、不当拘留を行う国が海外にはある。次に怖いのがテロ組織、犯罪組織。最近の活動状況の他、住居や滞在地近傍の危険な場所も押さえておきたい。誘拐等が頻繁に行われる国においては、誘拐のターゲット層を知り、自分や家族が標的になるかもしれないことを想定して対策を準備する。第三に怖いのは一般大衆だ。当該国の対日感情、日本との歴史、日本に関連する教育内容を理解するのは当然として、一般大衆の西側先進国に対する感情、特に対米感情について注意を払う必要がある。また、ビジネスの取引先については、その政治的背景まで考慮しておくことが重要だ。
現地情報を知り、安全確保のために確認すべき内容を把握したならば、行うべきことの最後は対策だ。対策は現地だけでなく、社員を派遣する日本の本社でも必要になる。以下、その対策を地政学リスクの大きな国・地域と、治安の悪い国・地域とに分けて記述する。
当該地域が紛争に巻き込まれる危険性が高い場合、本社は紛争が始まる前に、社員とその家族を帰国させる準備を整えておかなければならない。紛争の兆候をつかみ、いち早く対応することが重要だが、兆候の把握は容易ではない。このため、静的な情報だけでなく、情勢の推移にかかわる動的な情報収集が必要だ。「外務省の海外安全HPを見て、レベル3(渡航中止勧告)が出た段階で現地の社員を帰国させればよいのでしょうか」という質問をいただくことがあるが、それはお勧めできないとお答えしている。優先すべきは、社員や家族をまだ帰国できるタイミングで当該国から出国させることであり、外務省の危険情報はその参考にはなりにくいからだ(※理由は後述する)。このため、年間を通じて利用できるオープンチケットなどを準備するのも一案だ。
治安の悪い国・地域で立てておくべき対策の第一は、住居と家族の安全である。門、ガレージ、玄関、窓の施錠を怠らず、庭の各所に屋外照明、さらには、セーフティルームと言われる頑丈な「立て籠もり部屋」と数日分の食料備蓄、通信手段の準備もあるとよい。
第二は、家族の教育だ。個人情報漏洩の禁止、子供の学校までの送迎、一人歩きの回避、不用意に家の扉を開けないことなど、家族に徹底することが重要だ。
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