ドイツ政府は9月15日、エネルギー転換政策を修正すると発表した。競争力低下に苦しむ製造業にとってエネルギー費用引き下げは喫緊の課題だ。再エネ拡大の目標は維持するが、太陽光発電設備(PV)への助成金見直しや発送電のミスマッチ解消などで電力システム費用を最小限に抑える施策を導入する。
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ドイツ連邦経済エネルギー省(BMWE)のカテリーナ・ライヒェ大臣(キリスト教民主同盟:CDU)は、ベルリンでの記者会見で、「ドイツのエネルギー転換政策により、消費電力の60%近くが再エネ電力でカバーされるようになった。これは一定の成果だ。しかし、いまエネルギー転換は、成功するか失敗するかの分かれ道にさしかかっている」と指摘。
その上で大臣は、「エネルギー転換を成功させるには、政策の中心を電力の安定供給と、費用効率性の改善に移さなくてはならない」と主張した。
民家向けPV助成金を廃止へ
ライヒェ大臣は、エネルギー転換をやめると言っているわけではない。彼女は、2023年度版再エネ促進法(EEG2023)に明記された、「電力消費量に再エネ電力が占める比率を2030年までに80%に引き上げる」という目標と、「2045年までに気候中立(CO2の排出量を実質ゼロにすること)を達成する」という2つの目標は維持すると語った。
ドイツ連邦エネルギー水道事業連合会(BDEW)によると、ドイツの2024年の電力消費量に再エネ電力が占める比率は、54.9%だった。つまりライヒェ大臣は、再エネ拡大と、CO2を減らす努力は続ける。2038年までに石炭火力発電所と褐炭火力発電所を全て廃止するという目標も変えない。
ただしライヒェ大臣は、エネルギー転換にかかる費用を最小限に抑え、電力システム費用を減らす方針を打ち出した。電力システム費用とは、発電設備、送電系統、配電系統、蓄電池などを建設したり、維持したりするためにかかる費用のことだ。大臣は、電力システム費用が年々増えているので、このままでは市民と企業が支えきれなくなると懸念している。
ライヒェ大臣は具体的には、現在ドイツで設置ブームが起きている、住宅の屋根用のPVについて、固定価格買取による助成金を廃止すると発表。さらに、エネルギーに関する全ての助成制度を点検して、その水準を抑制すると語った。
またこれまでドイツでは、しばしば再エネ発電設備の建設と、送電系統の新設がコーディネートされず、ばらばらに行われていた。ライヒェ大臣は、発電設備と送電系統の建設をシンクロナイズさせることによって、系統建設にかかる費用を抑えることを目指している。具体的には、系統建設が困難で多大な費用がかかる地域に、再エネ発電設備を建設しようとする発電事業者には、系統建設費用の一部を負担させる。このようにして、再エネ発電設備が系統建設費用の少ない地域で増えるように仕向ける。
これまでドイツでは高圧送電線を新設する際に、原則として送電線を地中に埋めることが義務付けられていた。住民や環境保護団体の反対が強かったからだ。ライヒェ大臣は、高圧送電線を原則として地上に設置することを義務付け、建設費用を抑える方針だ。
緑の党主導の目標は野心的でありすぎた
ライヒェ大臣は、再エネ拡大目標についても、現実的な観点から見直す。その政策は、2021年から2025年まで続いた前政権(オラフ・ショルツ政権)とは、大きく異なる。
前政権は、社会民主党(SPD)、緑の党、自由民主党(FDP)による三党連立政権だった。前政権では、経済エネルギー省は、経済気候保護省と呼ばれた。ロベルト・ハーベック経済気候保護大臣(当時)は、緑の党に属しており、再エネ拡大とCO2削減を重視した。
2022年には、ロシアのウクライナ侵攻以降、ウラジミール・プーチン政権がドイツへの海底パイプラインによる天然ガス輸出を停止し、天然ガスと電力価格が高騰した。このためハーベック大臣(当時)は、ロシアからの化石燃料への依存度を減らすためにも、再エネ拡大目標を大幅に引き上げた。
たとえば2024年のPV設備容量は100ギガワット(GW)だったが、前政権の計画によると、2030年にはこれを215GW、2040年には400GWに引き上げる予定だった。2024年の陸上風力発電設備の設備容量は64GWだったが、2030年には115GW、2040年には160GWにする。2024年の洋上風力発電設備の設備容量は9GWだったが、前政権はこれを2030年に30GWに増やすという目標を打ち立てていた。
緑の党の政治家は、目標達成が可能かどうかにかかわらず、野心的な目標を打ち出す傾向がある。これに対しライヒェ大臣は、ケルン大学エネルギー経済研究所の鑑定報告書に基づき、「PVの2030年の目標は達成できる見込みだが、陸上風力・洋上風力の目標は達成できない」と指摘。「現実的な観点から、これらの容量目標を見直す」という方針を明らかにした。
現在ドイツではPVと陸上風力発電設備の新設は比較的順調に進んでいるが、洋上風力発電設備については、建設費用の高騰などのために建設が遅れている。今年8月にドイツ政府が実施した、洋上風力発電設備の助成金に関する入札には、1社も参加しなかった。
この背景には、ライヒェ大臣が、「前政権の将来の電力需要予測は多すぎる」と考えているという事実がある。前政権は2030年のドイツの電力需要量を750テラワット時(TWh)と予想していた。これに対しライヒェ大臣は、「産業界の脱炭素化や水素の製造が進まないと予想されるので、2030年の電力需要量は600TWh~700TWhだろう」と下方修正した。将来、過剰な再エネ電力が生まれることを防ぐためにも、設備容量の目標を見直すのだ。
また前政権は、2023年に発表した国家水素戦略の改訂版の中で、「2030年までに、再エネ電力を使った水素の生産能力を10GWに高める」という目標を持っていたが、ライヒェ大臣は「非現実的なので、より柔軟な目標に置き換える」と述べている。
ライヒェ大臣は、ドイツの大手電力会社エーオンの子会社の配電会社で社長として働いた経験を持つ。また政府の水素評議会の会長も務めた。このため、ドイツの電力市場や水素市場の現状を熟知している。つまり同氏は、エネルギー転換をより現実的な方向に引き戻そうとしているのだ。
産業界はライヒェ提案を歓迎も、再エネ業界は反発
ドイツの産業界は、ライヒェ大臣の提案を歓迎した。日本経団連に相当する経営者団体・ドイツ産業連盟(BDI)のホルガー・レッシュ副専務理事は、9月15日、「ライヒェ大臣の10項目提案は、電力システムの費用効率性を改善する上で基礎となる重要な改革提案だ」と高く評価する声明を発表した。
またドイツ化学工業会(VCI)のヴォルフガング・グローセ・エントルップ専務理事は、「ライヒェ大臣が豊富な専門知識に基づいて、今回の提案を行ったことを歓迎する。ライヒェ大臣は、これまでのエネルギー転換が誤った方向に進んでいたことを的確に指摘した。同氏がエネルギー転換の問題点を率直に指摘したことは、良いことだ。政府はエネルギー転換を、大幅に変更する必要がある」と述べ、提案の内容を高く評価した。同専務理事は、「過去の政権が行ってきたような、非現実的な再エネ目標の設定はやめるべきだ」とも語った。
経済界がライヒェ大臣の提案を歓迎した理由は、特に2022年のロシアのウクライナ侵攻以来、ドイツの産業向け電力価格が高騰し、この国の製造業界の価格競争力を低下させているからだ。国際エネルギー機関(IEA)によると、2022年のドイツの産業用電力価格は1メガワット時(MWh)あたり205ドルで、米国(84ドル)や中国(62ドル)を大きく上回っていた。ドイツの製造業界では、2024年以来ポーランドやチェコに新しい工場を設置する企業が増えているが、この理由としては、中東欧での人件費の安さと並んで、ドイツに比べて電力価格が安いことも挙げられている。つまり政府が電力価格引き下げのための枠組みを整えない場合、製造業の国外流出が加速する危険がある。
ただし再エネ業界は、ライヒェ大臣の提案に反対している。ドイツ太陽光発電連合会(BSW)は、「大臣の提案は、エネルギー転換にブレーキをかける」として、民家の屋根に設置するPVへの助成廃止を撤回するよう求めている。ライヒェ大臣の提案を実施に移す際には、連立与党のCDU・キリスト教社会同盟(CSU)とSPDの間で激しい議論が行われるだろう。
製造業界がCO2排出権制度の緩和を要求
さてドイツの製造業界からは、企業の経済的負担を減らすために、CO2削減の動きそのものにブレーキをかけることを求める声も出ている。
EU(欧州連合)域内には2005年以来、CO2排出権取引制度(EU-ETS)がある。製造業界、電力業界、EU域内の航空会社に適用されている。製造業界はEUから一定のCO2排出権を無償で供与されているが、一定の水準を超える量のCO2を排出する場合には、市場で排出権証書を買わなくてはならない。いわゆるキャップ・アンド・トレードと呼ばれる制度だ。
2005年には大量のCO2排出権が無償供与されていたために、EU-ETSはCO2削減に大きな効果を挙げなかった。しかし2017年以降、欧州委員会が市場のCO2排出権の量を減らしたために価格が高騰し、一時はCO2排出量1トン当たりの価格が100ユーロを超えた。10月17日の価格は79.5ユーロだ。
EUは、2050年までに気候中立を達成するという目標を持っており、今後EU-ETSを強化する。具体的には、EUは2026年以降企業へのCO2排出権の無償供与量を減らし、2030年代に無償供与を停止する。たとえばドイツ連邦環境気候保護省のカルステン・シュナイダー大臣によると、化学メーカーへの無償供与は2039年に終わる。
ドイツの産業界では、この計画に反対の声が上がっている。今年8月には、ドイツ最大の鉄鋼メーカー・ティッセンクルップが、欧州委員会に書簡を送り、CO2排出権証書の無償供与期間を2040年まで延長するよう要請したことが明らかになった。
同社はその理由を、「エネルギー価格、水素価格などが高騰している他、欧州の鉄鋼市場は過剰生産能力と、アジアからの割安の鉄鋼の輸入量の増加に苦しんでいるため」と説明している。ティッセンクルップは、「CO2排出権価格の上昇速度を抑えないと、鉄鋼生産プロセスの脱炭素化のための資金を確保できなくなる」と窮状を訴えている。
また世界最大の化学メーカーBASFも、ドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)の9月23日付電子版に掲載されたインタビューの中で、「CO2排出権証書の無償供与期間を延ばしてほしい。現在のままでは、域内の化学産業の生産設備の国外流出が進む」と述べている。
ドイツの化学メーカー、エボニックのクリスティアン・クルマン社長も10月8日付FAZとのインタビューの中で、「EU-ETSは、ドイツの産業界で働く約20万人の雇用を危険にさらす。欧州の産業界を守るためにこの制度を廃止するべきだ」と訴えている。
ドイツは世界でも再エネ拡大とCO2削減に最も真剣に取り組んできた国の一つだ。しかし現在この国は、低成長と景気停滞に苦しんでいる。ドイツ連邦統計庁によると、2023年の実質GDP(国内総生産)成長率はマイナス0.9%、2024年はマイナス0.5%と2年連続のマイナスだった。今年もプラス0.2%と低い。こうした時代には、環境保護よりも企業の成長力の確保が優先される。ドイツの産業界からは今後も、経済のグリーン化に対する逆風が強まることが予想される。