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〜国際情勢の重要人物を徹底解説!〜
中国

習近平
しゅう・きんぺい、シー・ジンピン

共産党総書記、国家主席、中央軍事委員会主席

1953年6月生、陝西省富平県出身、北京生まれ

清華大学化学工業学部(1975~79年)、 同大人文社会学院マルクス主義理論・思想政治教育専攻(法学博士)(1998~2002年)

政治改革に熱心で、開明的な指導者だった習仲勲元副首相を父親に持つ。文化大革命(1966~76年)が始まると、父親の失脚に伴い「反動分子の子」として自身も「地獄」を経験するが、下放先の梁家河村でリーダーとして頭角を現した。その後は福建省長、浙江省党委書記、上海市党委書記など「親の七光り」で出世を重ね、07年の党大会では、「共産党の永続には紅いDNAが必要」という声が高まり、当時の江沢民前総書記の推薦で、共産主義青年団(共青団)出身のライバル・李克強遼寧省党委書記(後の首相)を序列で抜き、国家副主席の座をものにした。
12年総書記、13年国家主席に就任すると、反腐敗闘争で政敵を打倒する政治闘争と、徹底した異論封じ込めという政治手法で、党内外に「恐怖」を植え付け、権力を掌握した。一方、中国が西洋列強や日本に領土や主権を奪われた「屈辱の近代史」に固執し、屈辱を晴らすかのように強国路線を掲げ、中国共産党の方針や政策に異を唱える米日欧など西側民主主義陣営と徹底対抗し、西側民主主義陣営と異なる発展モデル「中国式現代化」を提唱している。
18年に2期と決められた国家主席任期を撤廃し、22年の党大会を受けて異例の3期目政権を発足させ、政治局常務委員を気心の知れたイエスマンで固め、有無を言わせぬ「一極」指導体制を実現した。「中華民族の偉大な復興」の名の下に、「台湾統一」を政治公約とし、武力統一も辞さない姿勢を内外に誇示している。

(執筆・監修:城山英巳

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