国際人のための日本古代史 (90)

醜聞にまみれた「女帝」の知られざる「苦悩」と「闘争」

執筆者:関裕二 2017年9月6日
タグ: 日本
エリア: アジア

 

八尾市の由義神社。由義宮あとの伝承があったが、実際にはここから少し南側からみつかった (筆者撮影、以下同)

 

 大阪府八尾市の東弓削(ひがしゆげ)遺跡で、奈良時代の女帝・称徳(しょうとく、孝謙の重祚)天皇と怪僧・道鏡(どうきょう)ゆかりの由義宮(ゆげのみや)の一部がみつかった(八尾市文化財調査研究会)。

 称徳天皇は聖武天皇と光明子(光明皇后)の娘だ。独身女性が担ぎ上げられたのは、父・聖武天皇が敵対する藤原氏に引きずり下ろされたため。ただし、称徳女帝も藤原のいいなりにはならなかった。独裁権力を握った恵美押勝(えみのおしかつ、藤原仲麻呂のち改名)を追い落とし、「かねてより懇ろになっていた道鏡」を天皇に立てようと目論んだ。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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