正月といえば、小倉百人一首(以下、百人一首)を思い浮かべる。かつてのように、一般の家庭で百人一首を楽しむ機会は減ったが、初春の風物誌として、競技カルタの様子が、テレビで流される。一見、雅なイメージの百人一首だが、実は大きな謎を秘めている。
歌聖・藤原定家が編んだのに……
百人一首は、藤原定家による私撰和歌集で、嘉禎元年(1235)ごろ成立した。鎌倉幕府が勢いを得る一方で、朝廷の権威が凋落していく時期だ。
百人一首は、天智天皇から後鳥羽院の子・順徳院にいたる百人の歌を一首ずつ集めたものだ。蓮生入道(れんしょうにゅうどう、宇都宮頼綱。もと鎌倉幕府の御家人)の依頼を受けた藤原定家が、嵯峨・小倉山の山荘(京都市右京区)の襖障子に色紙形を書いて並べたものだ。カルタ遊びとなって普及したのは、江戸時代のことだ。
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