「タクシン」だけではない「タイ混迷」の歴史的根源

執筆者:樋泉克夫 2014年1月2日
エリア: アジア
 インラック政権の退陣などを要求してデモ行進する反タクシン元首相派 (C)=時事
インラック政権の退陣などを要求してデモ行進する反タクシン元首相派 (C)=時事

「民主主義の自家中毒」とでも表現すべき情況に陥ってしまったようなタイだが、この混迷情況は「タクシン」というキーワードだけでは読み解けないだろう。そこで些か遠回りではあるが、現在の混迷に立ち至った背景に検討を加えながら、改めてタイ政治の現状と将来を考えてみたい。

 

唯一の全国政党

 4つの大きな島で成り立っている日本と違い、タイの国土は地続きの1つの塊である。だが自然環境、歴史、生活文化、経済水準、産業構造など――これを敢えて風土と表現するなら、その風土の違いによって北部、東北部、中央部、バンコク首都圏、南部の5つの地域に分かれている。中選挙区か小選挙区かという選挙制度の別にかかわらず、政党もまた構造的には5つの地域を基盤にせざるをえない。来年2月の総選挙ボイコットを掲げて反タクシン運動に大きく舵を切った民主党といえども、この原則から外れるものではなく、バンコク首都圏に一定の支持勢力を持つとはいうものの、実質的には南部を基盤とする地域政党から脱することができないのだ。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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