国会が動き始めた ~「国会版・事業仕分け」と「国会版・原発事故調査委員会」

執筆者:原英史 2011年11月20日
エリア: アジア

 

 国会が、「行政の監視」という面で、大きく動き始めている。
 
 11月16・17日、衆議院決算行政監視委員会で始まった、「国会版・事業仕分け」がその一つ。2日間にわたり、スパコン、公務員宿舎、原子力関連団体などをテーマに、通常の国会審議とはかなり異質な自由質疑方式で、「仕分け」形態の審議が行われた。
 
 これは、「流行りの事業仕分けを国会でもやってみた」といった程度の話ではない。
もともと、民主党政権が事業仕分けを始める以前から事業仕分けを手掛けてきた“元祖・仕分け人”の河野太郎議員、平将明議員(自民党)らが推進し実現にこぎつけたものだが、「国会で」というところに大きな意味がある。
 国会の役割は、ひとつは「政党間での議論を戦わせる」ことだが、もうひとつが「行政の監視」だ。だが、これまでの国会論戦は、閣僚のスキャンダル叩きなどはじめ、「政党vs政党」でのポイント稼ぎが優先され、「政vs官」の構図での行政監視は不十分だった。
これが、いわゆる「官僚主導」がはびこった一因でもあった。「官僚主導」には、
1)“霞が関内”の問題(大臣による官僚機構のコントロール不足。処方箋の側からいえば、かねてより課題とされている「公務員制度改革」)、
2)“永田町-霞が関”の問題(国会による行政監視の不足)、
という両面があったわけだ。
 
今回の「国会版・事業仕分け」は、「政党vs政党」はちょっと脇におき、「政vs官」の機能をしっかり果たそうという試み。上記の2)の切り口で、「官僚主導」を正す処方箋を示す、新たな取り組みと言ってよいだろう。
 
 これに対し、メディアでは「法的拘束力がないので、実効性に疑問」(11月17日読売新聞)といった見方も報じられている。
 政府の事業仕分けの場合、法的位置付けがなかったため、例えば公務員宿舎のように、「仕分けでは廃止といっていたのに、いつの間にか復活」といった事業が出てきて問題になった。上記の見方は、これを「国会版」にもあてはめたものだ。
 だが、これは、国会という存在を根本的に勘違いした批判だ。
 そもそも、国会は、法律を作る権限のある機関であり、国会に対し「法的拘束力がない」という批判はほとんど意味をなさない。また、予算は、国会の議決を得てはじめて成立する。「国会版・事業仕分け」の場合、仮に、役所が仕分け結果を無視して事業を進めようとすれば、最後は、次年度予算でストップがかかるのだ。
 
 上記2日間の委員会には、経済産業省を辞めた古賀茂明氏も民間人仕分け人として参加し、初の試みしては十分な成果が得られたと思うが、課題も残った。
 例えば、政府側の提出資料が、委員限りとされ、一般には公開されなかったこと。せっかく国会で仕分けをやるなら、フルオープンでやればよいだろう。次回以降に改善が望まれる。
 また、メンバー選定にも疑問が残った。民主党議員の中には、政府側を代弁して、民間人仕分け人を問い詰めているように見える人もいた。それでは仕分けにならない。適材適所の人選が期待される。
 
もうひとつ、「国会版・事業仕分け」と並んで注目すべき動きが、近々に発足が見込まれる「国会版・原発事故調査委員会」だ。
 こちらも、事故原因の検証を政府に任せるのでなく、国会として党派を超えて取り組もうという動き。根本の考え方は共通していると言ってよいだろう。
 
 民主党政権は「脱官僚」を口にさえしなくなり、公務員制度改革も停滞するばかりだが、こうして、国会からという別のベクトルで、「脱官僚」の動きが起きていることに注目したい。
 
 
(原 英史)
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執筆者プロフィール
原英史(はらえいじ) 1966(昭和41)年生まれ。東京大学卒・シカゴ大学大学院修了。経済産業省などを経て2009年「株式会社政策工房」設立。政府の規制改革推進会議委員、国家戦略特区ワーキンググループ座長代理、大阪府・市特別顧問などを務める。著書に『岩盤規制―誰が成長を阻むのか―』、『国家の怠慢』(新潮新書)など。
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