宗教、宗派の対立が、世界秩序の崩壊を助長している。そして、貧困と不公平、蓄積された恨みと憎しみが、混乱に拍車をかけている。それが今日の世界だろう。
古代の日本でも、宗教戦争が勃発していた。だれもが知る6世紀後半の物部守屋と蘇我馬子の、仏教導入をめぐる死闘だ。
物部氏は「蕃神(あたしくにのかみ、仏のこと)を祀れば、国神(くにつかみ)の怒りを買う」と主張し、仏像を難波の堀江(大阪市中央区)に捨てた。すると、蘇我馬子は反撃に出た。朝廷の主だった者を率いて、物部守屋を滅ぼしたのだ。
けれどもこの戦い、純粋な宗教戦争だったかというと、じつに心許ない。その証拠に、物部氏自身が、当時仏寺を建立していたし、蘇我氏は物部守屋を滅ぼしたあと、神道を弾圧していない。対立の裏に、皇位継承問題や外交問題、改革を巡る利害の対立が隠されていた。要は、宗教戦争を隠れ蓑にした権力闘争である。
ならば日本には、宗教戦争はなかったのだろうか。
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