国際人のための日本古代史 (71)

聖武天皇が仕掛けた「宗教戦争」と神仏習合

執筆者:関裕二 2016年2月8日
タグ: 日本
エリア: アジア

 宗教、宗派の対立が、世界秩序の崩壊を助長している。そして、貧困と不公平、蓄積された恨みと憎しみが、混乱に拍車をかけている。それが今日の世界だろう。
 古代の日本でも、宗教戦争が勃発していた。だれもが知る6世紀後半の物部守屋と蘇我馬子の、仏教導入をめぐる死闘だ。
 物部氏は「蕃神(あたしくにのかみ、仏のこと)を祀れば、国神(くにつかみ)の怒りを買う」と主張し、仏像を難波の堀江(大阪市中央区)に捨てた。すると、蘇我馬子は反撃に出た。朝廷の主だった者を率いて、物部守屋を滅ぼしたのだ。
 けれどもこの戦い、純粋な宗教戦争だったかというと、じつに心許ない。その証拠に、物部氏自身が、当時仏寺を建立していたし、蘇我氏は物部守屋を滅ぼしたあと、神道を弾圧していない。対立の裏に、皇位継承問題や外交問題、改革を巡る利害の対立が隠されていた。要は、宗教戦争を隠れ蓑にした権力闘争である。
 ならば日本には、宗教戦争はなかったのだろうか。

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カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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