【特別コラム】近代という「神話」の終焉(2)
「共同幻想」としての「進歩」「発展」

執筆者:内山節 2021年11月6日
タグ: 日本
エリア: アジア ヨーロッパ
 

 私が子どもの頃に、「三種の神器」といわれたものがあった。洗濯機、電気冷蔵庫、テレビである。多くの人たちがこれらのそろっている生活を夢みていた。

 それは、戦中戦後の苦しい時代からの解放感とともに生まれたものでもある。戦争が終わり、戦地に行っていた男たちが帰ってきた。家族の生活が戻ってきた。だが戦後の社会には焼け野原が広がり、人々にはその日の食べ物の確保に苦労する生活が展開していた。

「三種の神器」「3C」のある豊かな生活

 ところが朝鮮戦争をきっかけにして企業活動が復活し、1956年以降になると、いわゆる戦後の高度成長がはじまる。所得は毎年増加するようになった。労働力不足が生じ、多くの人たちが安定的な雇用場所を確保するようになった。安心感、解放感、喜びが社会のなかに広がり、それは戦後民主主義とも重なりながら、新しい生活スタイルが社会のなかで示されていった。その象徴が三種の神器をそろえることだった。

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執筆者プロフィール
内山節(うちやまたかし) 哲学者。1950年、東京生まれ。群馬県上野村と東京を往復しながら暮らしている。著書に『「里」という思想』(新潮選書)、『新・幸福論』(新潮選書)、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)、『修験道という生き方』(共著、新潮選書)、『いのちの場所』(岩波書店)、『内山節著作集』(全15巻、農山漁村文化協会)など多数。
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