やっぱり残るは食欲 (21)

鍋の傷

執筆者:阿川佐和子 2024年4月9日
カテゴリ: カルチャー
エリア: アジア
傷んだ鍋は料理上達の証(写真はイメージです)

 愛用のテフロン片手鍋の表面がはがれてきた。そろそろ寿命かなと思いつつも捨てられない。もともとテフロン加工がされていなかったと思えば、まだ使えるだろう。でも、餃子を焼いたりビーフンを炒めたりするとき、テフロンのはがれている部分に餃子の皮やビーフンが数本こびりついて面倒なことになる。杓文字(しゃもじ)でごしごしはがそうとするのだが、なかなか手強い。そういうときは、「もう捨てるぞ!」と宣言してみるが、洗って水切りかごに乗せると、まだきれいな様子である。

 「ちょっとアザができたぐらいで、リストラしないでくださいまし」

 鍋がそう叫んでいるように見えてきて、また戸棚にしまう。

 テフロン鍋というものを使うようになってどれくらい月日が経っただろう。四十年前、親元を離れて初めての一人暮らしをするとき、何より最初に買ったのは、片手中華鍋だった。あの頃にはもうテフロン鍋というものは存在していたのかもしれないが、私は中華鍋がこよなく好きだった。これさえあれば、なんだって作れる。炒め物も揚げ物も、シチューだってカレーだってもってこいだ。1DKの小さな台所に鍋をいくつも収納できるスペースはない。中華鍋一つでじゅうぶんだと思った。

 実際、その中華鍋でどれほど料理をしただろう。それこそ炒めビーフン、麻婆豆腐、木須肉(ムース―ロー)などの中華料理はもちろんのこと、野菜を蒸したりスパゲッティを茹でたりするのもその鍋を使った。カブと油揚げの炒め煮やきんぴらゴボウを作るときも利用した。

 特に中華料理の炒め物をするときは、右手にお玉か杓文字、左手に菜箸を持ち、強火にして勢いよくかき混ぜなければならない。片手だけではうまく混ざらない。だから両手を使いたい。となると、鍋を固定させる手が足りない。鍋の揺れを抑えるためにはどうするか。取っ手の先をお腹で押さえる。我ながらいいことを思いついたと自慢したい気持であったが、その姿を見た友人知人は、たいてい笑う。

 「お腹で鍋を押さえる人なんて、見たことない!」

 そうかなあ。私は昔からやっているけど。なぜ私はお腹で鍋を固定するようになったのか。改めて考える。

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執筆者プロフィール
阿川佐和子(あがわさわこ) 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』(新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
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