3. スターリンの新しい帝国
レーニンの死
1922年4月23日、レーニンの不調を解消すべく、原因と目された銃弾の摘出手術が行なわれた(1918年8月末に撃ち込まれたもの)。恐らくはこれがかえって災いし、5月27日に彼は発作を起こした。10月2日には仕事に復帰したが、調子はしばしば崩れ、その都度療養先であるモスクワ郊外のゴルキに戻った。12月15日には自身で書くことができなくなり、翌日にかけての晩に右半身が一時麻痺した。ついで23日にかけての晩に右手・右足の本格的な麻痺が起こった。その後もなお、妻クループスカヤや秘書を通じて断続的に口述を行なった。1923年3月6日を最後に、レーニンは一切の仕事の能力を喪失した1。
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