農業大国フランスを揺さぶる「食料主権」の二律背反:農民デモが問う「EUの自律」か「国家の自律」か

執筆者:宮下雄一郎 2024年5月24日
タグ: フランス EU
エリア: ヨーロッパ
キャプション[2024年1月30日、フランス東部ストラスブール近郊でトラクターを走らせ高速道路を封鎖する農民たち](C)AFP=時事
「パワーとしてのEU」実現と自国の国家としての自律性。フランスにとって食料主権は、二つの命題が避けがたく衝突する難題だ。環境保護規制や安価な農産物流入につながるウクライナ支援といったEUレベルの政策が、農業大国としての利益を損なうのだと農民デモは訴えている。反発気運を捉えた極右の国民連合が支持を伸ばす中、フランスを揺さぶる「主権をめぐる政治」は、6月の欧州議会選挙にも影響を与えることが予想される。

 フランスは農業大国である。欧州連合(European Union, EU)随一の規模を誇り、EU全体の約18%の農業生産を同国が担っている。とりわけ薄力粉などの原料となる軟質小麦に関してはEUの生産量の28%をフランス産が占める1。共通農業政策は1962年に導入されて以来、現在のEUの諸政策の要として鎮座し続けている。そして欧州統合というヨーロッパ史上稀にみる斬新な政治経済上の事象は、農民という比較的保守的な傾向を帯びる人々に多大な影響を及ぼすかたちで進行することとなった。フランスはまさにそうした国家の一つである。

 2020年段階で、EUの土地面積の38%が農業関連の用途にあてられている。2023年から2027年まで適用される共通農業政策に割り当てられる予算は3870億ユーロ(約62兆円 ※1ユーロ160円換算)にのぼり、EU予算の3分の1を占める。フランスのような農業大国にとって欧州統合がいかに重要か、これだけでも理解できるであろう。時々聞こえてくるフランスのEU離脱という話は同国にとって自滅行為である。

 というのも、EUの共通農業政策の補助金の最大の受益国が、約94億ユーロを割り当てられているフランスだからだ。平均してフランスの農家は一戸あたり2万4000ユーロを受け取っており、これはドイツと並び、突出している。スペインは7300ユーロ、イタリアは4900ユーロである。独仏伊に加えスペインとポーランドのEU上位5カ国でEU全体の補助金の約62%を占めているが、加盟国の農家の間でも差が出るのは、補助金が主に農地面積に応じて割り当てられるからである。スペインでは農家の3分の2が10ヘクタール以下なのに対し、フランスでは46%が50ヘクタール以上の規模を誇っている。

EUの環境規制が農家の経営を直撃

 それでは、フランスの農家の収入は潤い、農業は明るい希望に満ちているかと言えば、まったくそのようなことはない。むしろ逆である。世界第6位の輸出額を誇るフランスは紛れもなく農業大国であるが、衰退途上にあるという悲観的な空気が蔓延し、農業分野の保険組合の調査によると、農業に従事している人は一般の社会保険の範疇の人々と比べ、自殺による死亡の割合が約43%高いそうである(15歳~64歳)。非農業従事者と比べて、農民の自殺する確率は高い2。フランスの農業は苦境に立たされている。

 いったいフランスの農業に何が起こっているのか。農業の危機は、国内問題であると同時にEUという国際政治レベルの話でもある。危機は第1に、EUに内在的な問題に起因する。第2に、ロシア・ウクライナ戦争の衝撃によってもたらされたものである。そして第3に、EUが旗頭となって推進すべき自由貿易が脅威と化したことによる。

 欧州統合は農業共同体を基幹の一つとして深化と拡大を続けてきたが、世界が抱える問題への対処にも注力している。その典型例が環境問題であり、EUは気候変動問題を懸念事項として掲げている。それを象徴するのが2019年12月、欧州委員会が発表した「欧州グリーンディール」という行程表である。2050年までにEUは二酸化炭素やメタンなどすべての温暖化効果ガスの排出量を実質的になくすことを目標に掲げている。運輸、エネルギー、鉄鋼などの産業分野が影響を受けるのはもちろんだが、農業もまたその対象分野となる。日本のメディアでも報道されているように、2030年までに農薬の使用を半減し、肥料の使用を削減し、全農地の25%を有機農業にすること、そして昨年からは農地の一定の割合を休耕地とし、作付けを行わない、など非常に厳しい措置を迫られている。そのうえ、燃料費の高騰に伴う農業用ディーゼル燃料の減税措置打ち切りも加わり、農家の経営を直撃するものばかりである。

 環境規範の事例としてよくあげられるのが農薬の使用制限である。EUも使用の制限を加盟国に課すようになったが、フランスはさらに強い制限を自国の農家に求めるようになった。というのもフランスの農業は農業・食料主権省だけではなく、環境連帯省なども関与しており、環境に配慮した農業の実現のために欧州委員会の規則を厳格に適用する傾向を帯びているからだ。さらに、強力な環境保護団体の存在も無視できない3。そのような背景から、フランスはグリホサート除草剤の使用に強い制限を課すようになったが、他の加盟国では規制なしに使われ続けている。あるいはEUはネオニコチネイド系農薬の使用に制限をかけたが、アセタミプリドという殺虫剤については除外した。ところがフランスは、このアセタミプリドも農業使用を禁止したため、それを使って生産していた農家の生産力は著しく低下してしまった。ようするに使ったほうが経営上は合理的な農薬を近隣には使用できる国家があるのに、フランスでは使えなくなってしまい、その分手間がかかるようになったということだ。農家からしてみれば、これは農薬使用の過剰な制限と映り、生産力の低下、すなわち収入の低下に直結する。結果的にフランスでは農産物の育成に費用と手間が重くのしかかり、市場での値段が高騰し、競争力を失うこととなる。フランスのリンゴはポーランドのリンゴの2倍の価格で販売されているそうである。

 さらに「動物福祉」が社会的な課題となっている状況下、EUレベルでも規制が進み、畜産業が影響を受けるようになった。過密な飼育は動物にとって苦痛になる。そして温室効果ガスを削減する必要もある。EUの農家は、家畜に快適な飼育環境を用意する必要に迫られ、養牛業は厳しい対応策を免れたものの、養豚業と養鶏業では基準に達していない畜産農家は費用をかけて対応する必要が出てくるのだ4

フランス産の半値で流通するウクライナ産の鶏肉

 ロシア・ウクライナ戦争もフランスをはじめとしたEU加盟国の農業に影響を及ぼした。

カテゴリ: 政治 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
宮下雄一郎(みやしたゆういちろう) 法政大学法学部教授。1977年生まれ。2000年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2002年、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。2004年、パリ政治学院大学院20世紀史研究所専門研究課程(Diplôme d’études approfondies, DEA)修了。2006年、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程単位取得退学。2008年、博士(法学、慶應義塾大学)を取得。2012年、パリ政治学院大学院歴史学研究所修了、博士(史学)を取得。日本学術振興会特別研究員(PD)、北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター協力研究員、松山大学法学部法学科講師、同大学准教授を経て現職。専門は国際関係史, ヨーロッパ統合論, フランス外交史。主著:『ヨーロッパ統合とフランス――偉大さを求めた1世紀』(法律文化社、 2012年、 共著)、『複数のヨーロッパ――欧州統合史のフロンティア』(北海道大学出版会、2011年、共著)、「自由フランスと戦後秩序をめぐる外交 1940―1944年」『国際安全保障』第33巻第2号(2005年)(『国際安全保障』最優秀新人論文賞受賞)、『フランス再興と国際秩序の構想: 第二次世界大戦期の政治と外交』(勁草書房、2016年)(2017年度サントリー学芸賞〈政治・経済部門〉、2017年度渋沢・クローデル賞奨励賞、第2回日本防衛学会猪木正道賞奨励賞)など。
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