ウクライナ「勝利計画」がウクライナにとって危険な理由

執筆者:篠田英朗 2024年10月1日
エリア: ヨーロッパ
ゼレンスキー大統領は、「勝利計画」についてバイデン大統領に説明することを非常に重視してきた[国連で握手する両首脳=2024年9月25日、アメリカ・ニューヨーク](C)AFP=時事
ウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカに伝えた「勝利計画」は、欧米兵器によるロシア領への攻撃容認を前提とした、軍事的勝利に強くこだわった内容と見られる。しかし、ロシア領への攻撃は必ずしもプーチン政権の威信失墜に繋がるとは限らず、逆にロシア国民の憎悪を強める可能性もある。さらには、米欧中心主義的な「自由民主主義の勝利」という物語を前面に押し立てた勝利の絶対条件化は、戦闘のエスカレーションリスクだけでなく、国際世論を味方に付ける上でも危うさをはらんでいる。

 国連総会にあわせて渡米したウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、9月26日にジョー・バイデン大統領と会談をした。その際、かねてより重要な議題とされてきたウクライナの「勝利計画(Victory Plan)」について、説明をしたとされる。ゼレンスキー大統領は、さらにカマラ・ハリス副大統領とドナルド・トランプ前大統領の二人の大統領候補とも会い、やはり「勝利計画」を説明したとされている。

 ウクライナ政府はまだ、この「勝利計画」の詳細内容を公式には明らかにしていない。ウクライナ政府は、いずれ「勝利計画」を国民に説明する、と述べてきていた。だが訪米が済んでも、まだなお詳細は明らかにされていない。訪米後の政府関係者の発言では、敵の利益にならないように、全てを明らかにするわけにはいかない、とニュアンスが異なる発言も出てきている。バイデン大統領から長距離兵器使用制限の撤廃の回答を得られることがなかった。ブリンケン国務長官は、「勝利計画」を丁寧に分析する、と発言している。ウクライナ政府は、ゼレンスキー大統領の訪米による劇的な進展を望んでいたと思われるが、それはまだ実現していない。

「勝利計画」の内容に真新しいものはない、といった支援国政府関係者の評価も報道されている。アメリカを離れる前のゼレンスキー大統領のメッセージによれば、「勝利計画」は、長射程能力、防衛パッケージ、対露制裁、ロシア資産に関する措置」によって成り立っている。しかし長距離兵器使用制限の撤廃以外の項目は、すでに実施済だ。「勝利計画」の内容のほとんどは、これまで実施してきた措置を、さらに強化していくための支援要請だと考えてよいだろう。

 実際のところ、ウクライナ政府関係者は、「勝利計画」が停戦に向けたものではなく、あくまでも「勝利」のための計画であることを強調している。また、今年6月にスイスで開催された「平和サミット」の際に採択された「共同声明(Joint Communiqué on a Peace Framework adopted at the Summit on Peace in Ukraine)」の内容や、ウクライナ政府が従来から標榜している「平和の公式(Peace Formula)」を実現するための計画だ、とも述べている。

「平和サミット」の際には、核兵器使用の忌避・原子力エネルギーの安全管理、食糧安全保障、捕虜の交換、が「共同声明」で特筆された。これらは、署名国の数を増やすために、軍事的・政治的内容を極力そぎ落とした後、最後に残った三つの議題だった。ただそれでも欧米諸国を中心とする米国の同盟国・友好国のネットワークをこえた諸国の署名を獲得することは、ほとんどできなかった。

 もともとウクライナ政府が2022年秋頃から掲げている「平和の公式」は、上記「共同声明」の3項目の内容を含みつつ、さらに7項目を追加した、全10項目から構成されている。エネルギー施設の回復、2014年以前にウクライナが実効支配していた領土の回復、敵対行為の停止とロシア軍の撤退、特別法廷の設定を通じたロシアの戦争犯罪の処罰、環境破壊による損害の回復、ロシアの再侵攻を防ぐための保障措置、平和条約の締結、である。これらはウクライナ政府によって「公正な平和(just peace)」の内容としても参照される。

 このように「勝利計画」は、あくまでも「平和の公式」の内容にそった「公正な平和」を勝ち取るための計画と考えられている。ウクライナの意向にそった戦争の終結を実現するための計画である。戦場の現実を反映させた停戦合意のようなものとは、根本的に異なっている。ゼレンスキー大統領は9月中旬に、中国とブラジルが共同で打ち出したウクライナ危機の和平構想を「破壊的な提案で、単なる政治的な声明だ」と非難し、両国がロシアに近すぎることを批判した。

長距離兵器によるロシア領攻撃に強いこだわり

 それではこの「勝利計画」に何か新しい要素があるとすれば、それは何なのか。注目すべきは、ロシア領土への攻撃能力の確保が、「勝利計画」の主眼となっているようであることだ。

 ゼレンスキー大統領は、ロシア領の奥深くまで攻撃するための長距離兵器の使用許可を、アメリカ、イギリス及びフランスという主要な武器提供国に要請している。かなり強く、繰り返し求めており、相当なこだわりを見せている。長距離兵器でロシア領奥深く攻撃を行うことさえできれば、ウクライナは戦争に勝利できる、と言っているときすらある。ゼレンスキー大統領が、バイデン大統領への説明を非常に重視してきたのは、長距離兵器の使用が「勝利計画」の中核要素だ、と考えているからだ。

 長距離兵器の使用許可を求めつつ、あわせてウクライナ政府は、ロシア領土を攻撃するための兵器の自国での生産能力を向上させていくという。これに対しては、支援国は、財政的・物理的・技術的な支援などが要請されることになるのだろう。また、ゼレンスキー大統領は、クルスク侵攻作戦も「勝利計画」の一部だとみなすことができる、とも発言している。いずれも、ゼレンスキー大統領が、ロシア領土への攻撃が「勝利計画」の必須の構成要素だと理解していることの証左だ。

 本来は、「平和の公式」の内容の実現のためには、占領されている領土の奪還を果たして、ロシア軍を撤退させるための軍事作戦が、必要となる。そしてそれは実際に現在も東部戦線で遂行中だと理解することができる。

 だが、「勝利計画」の主眼は、むしろそのような目的達成のために直接的に遂行される作戦よりも、ロシア領への攻撃のほうに置かれている。これは昨年の「反転攻勢」が成果を出せないまま終わり、東部戦線が膠着状態に陥った実情を踏まえてのことだろう。ゼレンスキー大統領の頭の中は、ロシア領土を攻撃することによって事態の打開を図るしかない、という考え方に染まっているようだ。

エスカレーションのリスクをめぐるNATO諸国のギャップ

 ゼレンスキー大統領やウクライナ政府関係者は、急速に「長距離兵器でロシア領奥深く攻撃することがウクライナの勝利への道」という考え方を強調する方向に動いてきている。それでは、この考え方に、果たしてどれくらいの妥当性があるだろうか。

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カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
篠田英朗(しのだひであき) 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程、ロンドン大学(LSE)国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士(Ph.D.)。国際政治学、平和構築論が専門。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験を持つ。日本政府から派遣されて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で投票所責任者として勤務。ロンドン大学およびキール大学非常勤講師、広島大学平和科学研究センター助手、助教授、准教授を経て、2013年から現職。2007年より外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築入門』、『ほんとうの憲法』(いずれもちくま新書)、『憲法学の病』(新潮新書)など多数。
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