ウクライナ停戦・和平の論点
ウクライナ停戦・和平の論点 (5)

ボールはどちらのコートにあるのか――停戦外交の攻防と「トランプ時間」

執筆者:鶴岡路人 2025年8月31日
エリア: 北米 ヨーロッパ
「トランプ時間」は、厳しい現実と衝突する[アンカレジのエルメンドルフ・リチャードソン米軍基地にプーチン大統領(左)を迎えたトランプ大統領=2025年8月15日、アメリカ・アラスカ](C)AFP=時事
米露首脳会談は、「停戦vs時間稼ぎ」の観点ではロシアの勝利だった。だが、トランプ氏の認識も同じだろうか。ロシアの唱える「根本原因の除去」は長い交渉期間を前提とするが、かつて1日で戦争を終わらせるとしたトランプ氏は、その前提には立っていないと考えられる。仮に2週間で「根本原因の除去」が実現できると信じるならば、それは時間稼ぎを認めたことにはならないかもしれない。停戦をめぐる外交上の攻防を理解するには、こうした独特な「トランプ時間」の理解が必要になる。

 ウクライナの停戦・和平をめぐる外交の動きが激しい。2025年8月15日の米国アラスカ州での米露首脳会談、そして、同18日にホワイトハウスでおこなわれたドナルド・トランプ米大統領とウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領の会談、さらには欧州首脳を交えた会合はその象徴だった。

 目まぐるしく展開される停戦・和平外交にはさまざまな論点が存在するが、そうであるがゆえに、構図や方向といった全体像を把握することが重要になる。2025年1月のトランプ政権発足以降の大きな流れに照らすと、「ボールがどちらのコートにあるのか」が一つの重要な注目点になる。表層的に聞こえるかもしれないし、具体的な事項に関する実質的な進展があるようにはみえないが、それは、各局面でどちらが主導権を握るかということであり、関係国間の力関係、さらには外交交渉の行方に影響する。以下では、この観点から停戦・和平をめぐる外交の攻防を読み解いていこう。

戦争のあり方を変えようとしたトランプの「停戦要求」

 トランプ政権は、停戦を前面に掲げることで、出口のみえない戦争のあり方を変えようとしたといえる。これが出発点である。「1日で終わらせる」とした当初の自信は消滅したものの、まずはウクライナに圧力をかけて戦争を終わらせようと試みた。2025年2月28日のホワイトハウスでのトランプ・ゼレンスキー会談の決裂は、その象徴的場面になった。これを受けて米欧関係は一気に危機的状況に陥った。米国が「ロシアの側に行ってしまった」ようにみえたのである。すぐに再開されたものの、米国はインテリジェンスの提供を含むウクライナへの支援を停止する措置にまで踏み込んだ。米欧離間を狙ってきたロシアにとっては、ありがたい敵失だった。

 その後、3月11日の米・ウクライナ協議の場でウクライナは、トランプ政権の提案する即時停戦提案を受け入れる用意があると表明した。これが関係修復の一歩になり、さらに、米国・ウクライナ・欧州が一致して、ロシアに対して停戦を求める図式が生まれた。ボールはロシア側に打ち返されたのである。停戦を求める米欧ウクライナに対し、抵抗するロシアという構図である。

 トランプ大統領は、2月以降、8月15日のアラスカでの対面会談までの間にウラジーミル・プーチン大統領と、発表されているだけで6回の電話会談を積み重ねてきた。3月18日の電話会談では停戦が議論されたものの、ロシア側はさまざまな条件をつけ、実質的な進展はなかった。

 ロシアが、米国の要求をかわし、「時間稼ぎ」を図っていたのは明確だった。戦場で優位に立つロシアは、戦争を継続することで占領地を広げることができるし、それがウクライナに対する圧力の増大にもつながるからである。加えてロシアは、即時停戦では安定的な平和は実現せず、紛争の「根本原因」の除去が必要だと、電話首脳会談を含めたあらゆる機会をつうじて米国側にインプットしてきた。

小刻みに動くトランプの停戦「期限」とロシアの「時間稼ぎ」

 それでも、トランプによる停戦要求が消滅することはなく、7月14日にNATO(北大西洋条約機構)のマーク・ルッテ事務総長と会談したトランプ大統領は、「50日間以内」に停戦が実現しない場合、厳しい制裁を課すと警告した。これは唐突な表明と受け止められたが、米国側の苛立ちを示したものでもあった。ロシアに対する制裁に加えて、ロシアの原油などを輸入することでロシアの継戦能力を支えている中国やインドへの2次制裁も言明された。

 とはいえ、「50日」の根拠は不明であり、米国の制裁を気にせずにロシアが戦争を続けられる猶予だとする受け止めもあった。7月14日から50日だとすれば、期限は9月2日頃のはずだった。占領地拡大のための夏の攻勢をするには十分な期間ともいえた。しかしトランプは、その期限を待たず、当初の警告から2週間後の7月28日に、今度は「10から12日」での停戦を求めることになる。この期限は8月8日頃だった。

 通常であれば、このように期限を区切って相手に何かを要求をする側が主導権を握り、要求を突きつけられた側は守勢を強いられる。ただしこの局面では、中国とインドに対して大規模な2次制裁をかける用意が米国の側に本当にあるのかが問われた。ロシアは、大規模な制裁が実際に発動されれば、継戦能力に深刻な影響が生じかねないため、事態を注視していた。

 しかし、その期限が切れ、停戦が実現しないなかで、今度は米国が動かざるをえなくなる。スティーブ・ウィトコフ米特使によるプーチン大統領との面会などを経て、8月15日のアラスカでの米露首脳会談である。期限を切って制裁を警告しても、それを発動できないのであれば、逆に米国が追い込まれる。

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
鶴岡路人(つるおかみちと) 慶應義塾大学総合政策学部教授、戦略構想センター・副センター長 1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書、2023年)、『模索するNATO 米欧同盟の実像 』(千倉書房、2024年)、『はじめての戦争と平和』(ちくまプリマ―新書、2024年)など。
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