ミャンマー軍政“安定”の陰にある少数民族の存在

執筆者:浅井信雄 2003年12月号
エリア: アジア

 映画化された竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」の強い印象で、一九八九年からの国名ミャンマーは日本人に馴染みにくい。両方とも同じ語源だが、改名により「全国民をミャンマー民族とする」との民族統合の意図があった。本稿では民族を論ずる時、ビルマを使う。 厳しい鎖国時代の一九六八年、私はあるインド人実業家の仲介でこの国を初訪問できた。彼は「少数民族の反抗を中国が支援しているため、国内の監視体制が極めて厳しい」と説明してくれた。「少数民族」「中国」「インド人」はこの国の歴史を理解するカギである。多くの民族が中国の諸民族と血縁を持ち、陸路の往来も容易だ。日中戦争中、米英などがミャンマーから中国の蒋介石政権を助ける「援蒋ルート」を開いている。

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