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〜国際情勢の重要人物を徹底解説!〜
中国

張又侠
ちょう・ゆうきょう、ジャン・ヨウシア

中央軍事委員会副主席(上将)

1950年7月、陝西省渭南市

軍事学院基本系(1984~86年)、国防大学合同戦役指揮班(1996~97年)

2022年10月の共産党大会時点で72歳に達しており、68歳で共産党中央政治局委員や中央委員から退くという従来の慣例を破り、政治局委員や中央軍事委員会副主席に留任した。習近平を除き、68歳以上で政治局入りしたのは張と王毅・共産党中央外事工作委員会弁公室主任だけで、習近平にとって二人がいかに欠かすことのできない存在であるかが判明した。

1968年に18歳で入隊。1979年の中越戦争には、雲南省昆明に拠点を置く陸軍第14軍(1985年から第14集団軍)から出征した。84年に起こったベトナムとの国境紛争でも、第14軍119団の団長として前線で指揮を執った。同年7月30日の中国共産党機関紙『人民日報』には、「雲南省の国境防衛前線で、知謀に富み的確に判断する優秀な若き指揮官」として張又侠が「英雄」視されていた様子が伝えられている。

現在の人民解放軍の中で、実戦で活躍した軍指導者はもはや張又侠以外におらず、台湾統一に向け、戦争に打ち勝つ「強軍」建設を目指す習近平は有事に備え、張の実戦への経験と感覚を必要としているのは間違いない。

2005~07年に北京軍区副司令員、07~12年に瀋陽軍区司令員を務め、12年には総装備部長に就き、12年の党大会を受けて中央軍事委員会入りを果たした。習近平が15年に断行した大規模軍改革に伴い、総装備部は装備発展部に改編され、張は同部長を務めた。17年の党大会で中央政治局委員と、軍制服組トップの中央軍事委員会副主席に昇格した。

父親は、人民解放軍で1973~78年に総後勤部長を務めた張宗遜。習近平の父親・習仲勲元副首相と同じ陝西省渭南市出身で、抗日戦争や国共内戦を共に戦った戦友。国共内戦時、彭徳懐(後の国防相)が司令員として指揮する西北野戦軍(後の第一野戦軍)で、宗遜は副司令員、仲勲は副政治委員を務めた。その息子である習近平と張又侠も「紅い血」を引き継ぐ「革命二代」として北京で生まれ、幼い頃から知り合いで、信頼し合う関係が続いているとみられる。

(執筆・監修:城山英巳

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