中国が呼び覚ますもの―日本援助の原点だった経済協力思想

平野克己
執筆者:平野克己 2010年9月14日

 China-DAC 協議体についてお伝えした際、「開発援助政策の地殻変動がアフリカで始まっている」と書いた。今回はこのことを少し敷衍してみたい。まず日本のODA事始めから振り返ってみよう。

 日本の開発援助は戦後賠償から始まった。賠償請求権を放棄してくれたアジア諸国に対して、日本は援助を提供することで報いたのである。

 当時の日本は貧しかった。乏しい財政から援助予算をやりくりし、日本自身の開発予算にとって貴重な財源だった財政投融資会計から、アジアに向かって円借款をふりむけた。当時、賠償交渉は外務省、開発援助は通商産業省(現経済産業省)の所管だったので、最初のODA白書は『経済協力の現状と問題点』として、1958年に通産省が作成した。これを読むと、ナケナシの資金を投入するにあたって日本が開発援助政策をどのように位置づけていたかがよくわかる。要旨はこうなっている。

 他国に経済協力する理念は国際協調の推進だが、これは抽象的な概念にすぎない。その背景にあるのは、資本と技術がほしいという開発途上国側の期待と、資本財を輸出したいという日本の欲求であって、開発援助は、両者を結びつけることで国際協調に具体的な場を与えるのである--なんとも率直で、高度成長期の日本のたくましさが伝わってくる。

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執筆者プロフィール
平野克己
平野克己 1956年生れ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院経済研究科修了。スーダンで地域研究を開始し、外務省専門調査員(在ジンバブエ大使館)、笹川平和財団プログラムオフィサーを経てアジア経済研究所に入所。在ヨハネスブルク海外調査員(ウィットウォータースランド大学客員研究員)、JETRO(日本貿易振興機構)ヨハネスブルクセンター所長、地域研究センター長などを経て、2015年から理事。『経済大陸アフリカ:資源、食糧問題から開発政策まで』 (中公新書)のほか、『アフリカ問題――開発と援助の世界史』(日本評論社)、『南アフリカの衝撃』(日本経済新聞出版社)など著書多数。2011年、同志社大学より博士号(グローバル社会研究)。
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