さきごろ亡くなったエリツィンほど歴史的評価の分かれる指導者も少ない。だが、日本にとってはまたとない“好機”をもたらした存在だった。 ソ連時代末期の一九九〇年六月末、ロシア共和国最高会議議長に就任したばかりの故ボリス・エリツィン前大統領とモスクワで単独会見したことがある。当時のエリツィンは急進改革派指導者として人気急騰。機転が利き、決断が早く、オーラが漂っていた。改革派の集会やデモは「エリツィン、エリツィン」のシュプレヒコールが定番だった。 三年後に議会保守派が立てこもり、エリツィン自身が砲撃を命じることになる最高会議ビル(現政府庁舎)の執務室には、レーニンの肖像画が残っていた。「まだレーニンですか」と冷やかすと、「どこが悪い。わたしはレーニンを尊敬している」と不機嫌になった。

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