国際人のための日本古代史 (82)

「明るい門出」ではなかった「大宝元年」元日の朝賀

執筆者:関裕二 2017年1月5日
タグ: 中国 日本
エリア: アジア
藤原宮跡の発掘現場。日本の夜明けとなる朝賀がここでくり広げられた。しかし蓋を開けてみると……(筆者撮影)

 藤原宮跡(奈良県橿原市)の大極殿院南門の南側で、整然と1列に並ぶ7基の柱穴が2016年に見つかった。元日朝賀の式典の様子を知る手がかりになると期待されているが、それは、『続日本紀』大宝元年(701)春正月の次の朝賀にまつわる記事と、そっくりだったからだ。すなわち、
「大極殿院南門(原文は正門=せいもん=)に烏形(うけい、金銅製の3本足の烏)をあしらった旗(幢=はた=)を立て、左には日像(にっしょう)、青龍、朱雀の旗(幡=はた=)、右は月像(げっしょう)、玄武、白虎の旗を立てた」
 とある。
 ここにある青龍は東、朱雀は南、玄武は北、白虎は西を意味する神獣たちだ。中央の烏は、天皇家の象徴と考えられている。きらびやかな朝賀の演出である。

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カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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