マネーの魔術史 (17)

田沼意次、水野忠成が財政収入を目的として貨幣発行

執筆者:野口悠紀雄 2017年9月21日
タグ: 中国 日本
エリア: アジア
 

 

田沼意次の貨幣改革

 田沼意次の時代、いくつかの新貨幣の導入が行われた。1765年(明和2年)に、明和5匁銀が発行された。これは計数貨幣を意図している。それまでの銀貨は「秤量貨幣」であり、貫匁分をもって量られていた。それに対して「計数貨幣」は、額面で価値が決まるもので、取引の際に秤量する手間を省ける。

 ただし、高木久史『通貨の日本史』(中公新書)によれば、むしろ重要なのは、市価に関係なく、法定比価に基づき、明和5匁銀1枚を額面12分の1両相当としたことだ。法定比価を強制すれば、幕府が利益を得ることになる。だから、財政補填が目的であったというのだ。ただし、明和5匁銀は失敗に終わり、普及しなかった。

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執筆者プロフィール
野口悠紀雄(のぐちゆきお) 1940年東京生まれ。東京大学工学部卒業後、大蔵省入省。1972年エール大学Ph.D.(経済学博士号)取得。一橋大学教授、東京大学教授などを経て、現在、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問、一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論。1992年に『バブルの経済学』(日本経済新聞社)で吉野作造賞。ミリオンセラーとなった『「超」整理法』(中公新書)ほか『戦後日本経済史』(新潮社)、『数字は武器になる』(同)、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞社)、『マネーの魔術史』(新潮選書)、『AI時代の「超」発想法』(PHPビジネス新書)など著書多数。公式ホームページ『野口悠紀雄Online』【http://www.noguchi.co.jp
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