
淡路島を発って大阪へ向かう船上から北側を望む。このエリアを巡って争いが起きた(筆者撮影)
スサノヲの正体を知るためには、ヤマト建国の真相を明らかにする必要がある。
ヤマト建国のきっかけのひとつは、弥生時代後期に勃発した山陰地方の主導権争いで、出雲とタニハ(但馬、丹波、丹後、若狭)が覇を競い、その争いが瀬戸内海に飛び火した。
本来なら、出雲は新羅やタニハと同じ悩みを抱えていたはずなのだ。朝鮮半島と日本列島をつなぐ航路を支配していたのは北部九州で、出雲も、中国に通交することが困難な「閉じ込められた空間」に位置していた。北部九州沿岸部が航路を独占している間は、山陰地方・タニハ・新羅の発展は難しかった。すると出雲は、北部九州とタッグを組んで、タニハに圧力をかけた。だからタニハは、生き残りのために、知恵をしぼって、南部近畿、近江、東海とつながっていったわけだ。

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