
弥生時代後期の五斗長垣内[ごっさかいと]遺跡(兵庫県淡路市)。「淡路島の鉄工房」だった(筆者撮影)
ヤマト建国の話を続けたい。鉄も富も乏しかった奈良盆地に、なぜ国の中心が置かれたのか。その謎を考古学で解き明かしてみよう。
ヤマトに都市「纏向」(奈良県桜井市)が出現する直前、日本列島は混乱状態にあった。中国の文書には、2世紀半ばから後半にかけて、倭国は乱れたと記録されている。中国の後漢王朝の勢いが衰え、東アジアに動揺が広がり、その余波を受けてしまったのだ。

「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン