屋良朝苗:教職員会が生んだ復帰運動のリーダー

執筆者:野添文彬 2022年5月8日
タグ: 日本 アメリカ
エリア: アジア 北米
高等弁務官を表敬訪問する沖縄教職員会の屋良朝苗=1965年 1月 5日(沖縄県公文書館所蔵)
琉球政府行政主席の立場で悲願の本土復帰を果たし、初代沖縄県知事に就任した屋良朝苗。彼はいかにして復帰運動のリーダーとなったのか。

 

復帰運動の担い手になった教職員会

 1952年5月、屋良朝苗が沖縄教職員会会長に就任し早速取り組んだのが、戦災校舎の復興であった。そして校舎復興に向けて、「戦争で壊滅した沖縄の校舎を国が責任をもって復興することは、きわめて当然な筋道」という考えから、日本政府と日本国民に訴えようとした。

 さらには、校舎復興の運動によって、日本国民の沖縄への関心を高めると同時に、日本本土からの支援を通して沖縄と日本本土を結び付けることで、沖縄の日本復帰に取り組もうとしたのである。

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
野添文彬(のぞえふみあき) 沖縄国際大学法学部 地域行政学科准教授。1984年生まれ。一橋大学経済学部卒業後、同大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は国際政治学、日本外交史、沖縄基地問題。主な著書に『沖縄返還後の日米安保: 米軍基地をめぐる相克』(吉川弘文館/2016年)、『沖縄米軍基地全史』(吉川弘文館/2020年)がある。
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