ウクライナへの「安全の保証」をめぐる攻防――日本はなぜ「安全のコミットメント」も避けるのか

執筆者:鶴岡路人 2023年9月22日
エリア: ヨーロッパ
日本のウクライナ支援においても重要なステップになった[ウクライナのドミトロ・クレバ外相(左)と聖ミハイル黄金ドーム修道院の前を歩く林外相(当時)=2023年9月9日、ウクライナ・キーウ](C)EPA=時事
林前外務大臣がキーウ訪問で発表した「ウクライナ支援に関する二国間文書」の交渉開始は、7月のG7共同宣言に基づくものだ。ウクライナに対する安全のコミットメント(security commitment)をうたった同宣言の背後には、「安全の保証」をめぐるウクライナとG7、NATO諸国の間の熾烈な綱引きが存在した。日本は今回二国間交渉を開始するにあたって、コミットメントという言葉も避けた。それは日本のウクライナ支援の限界なのだが、現実的アプローチでもあった。

 2023年9月9日の朝、快晴のキーウに林芳正外相が降り立った。前年2月のロシアによるウクライナ全面侵攻以降、日本からの初めての外相訪問だ。岸田文雄首相の訪問は同年3月に実現した。総理訪問については事前に多くの議論がなされた一方で、本来総理よりも前に実現しておかしくなかった外相のキーウ訪問は、なぜだかマスコミでほとんど話題になっていなかった。ただし、9月の国連総会に合わせてG7外相会合が予定され、その直前のポーランド訪問だったため、関係者の間ではウクライナまで足を伸ばす可能性が取り沙汰されていた。そうしたなかでの訪問だった。

 林外相自身は、帰国直後の9月13日におこなわれた内閣改造で突如として外相ポストを去ることになり、これは多くの人に驚きをもって受け止められた。それでも今回の訪問は、開戦以降議論が続いてきたウクライナに対する「安全の保証(security guarantee)」をめぐる外交的駆け引きの観点で極めて興味深く、また、日本のウクライナ支援においても重要なステップになった。以下で順にみていこう。

「安全の保証」への躊躇

 ウクライナが求めているのはNATO(北大西洋条約機構)への加盟だが、それがすぐに実現しないことはウクライナ自身が認識しているため、それまでの過渡的な措置として「安全の保証」を求めている。「保証」にあたる言葉は、英語では「guarantee」が用いられることがほとんどだ。

 これは、1994年12月にウクライナと米英露首脳によって署名された「ブダペスト覚書」で「安全の提供(security assurance)」がうたわれたものの、実際には何の役にも立たなかった教訓を受けたものである。同覚書は、ウクライナが領内に残っていた旧ソ連の核兵器を全てロシアに移譲し、非核兵器国として核不拡散条約(NPT)に加入するにあたって、米英露がウクライナの安全を提供したものだった。ブダペスト覚書の失敗を繰り返さないことが、ウクライナの強い意思になっている。そうした背景から、日本では言葉の使い分けが難しいが、今回は「assurance」という言葉が意図的に避けられ、それよりも強固な語感のある「guarantee」が選択されているのである1

 そのため、ウクライナはこの言葉に強いこだわりを持っている。しかし、これは提供する側にとっても高度に機微な問題である。しかも、まだNATOに加盟できない状況を前提とする話である。北大西洋条約第5条による集団防衛が適用できないなかで、つまり、それ未満の状況でどのような保証を行うことができるのかという課題である。しかしそれはロシアによる再びの侵攻を阻止できるほどの信頼性を有する必要がある。明確な解はなかなかみつからない。

 2023年7月のリトアニア・ヴィリニュスでのNATO首脳会合は、ウクライナの加盟問題では実質的な進展を示すことができず、同盟内の準備不足を露呈する結果になった。しかし、NATO会合が終了した直後に目玉があり、議長国日本を含むG7首脳によって、「ウクライナ支援に関する共同宣言」が発表されたのである。安全保障のみならず経済分野を含めて支援の継続をうたう文書であり、これをもとに各国がウクライナとの間で二国間の協定・合意を締結するとされた。ウクライナ側は「安全の保証」に関する文書だとして成果を強調したものの、その言葉は同宣言には登場しない。これが偶然なわけはなく、G7諸国がその言葉を使うことを躊躇した、あるいは少なくともそれを使うことへの合意が存在しなかったのである。

 G7がかわりに使ったのは「安全のコミットメント(security commitment)」だった。ここから先は語感の問題かもしれない。英単語として「guarantee」よりも「commitment」が常に弱いかというと、そのようなことはないだろう。安全保障に関して、「commitment」は安易に使える言葉では決してない。しかし、これは単に言葉の厳密な定義の問題ではなく、ウクライナが求めていた「guarantee」を避けるという政治判断だったと考えられる。そこには、ウクライナとG7、NATO諸国――NATOに加盟していないG7参加国は(EU:欧州連合を除けば)日本のみ――の間の熾烈な綱引きがあり、その結果がこの用語法である。

 それでもウクライナ側は、このG7共同宣言に基づいて各国と個別に開始されつつある二国間交渉に関して、「安全の保証」に関するものだと言い続けている。これはウクライナ側の希望を示すものであり、意図的に使っているのだが、ウクライナと関係国との間にギャップが存在することは明らかである。

「ウクライナ支援に関する二国間文書」

 そのうえで林外相のキーウ訪問である。公表されている最大の成果の一つが、「ウクライナ支援に関する二国間文書」の交渉開始である。林外相がヴォロディミル・ゼレンスキー大統領を表敬訪問した際に、交渉開始のための日本側の準備が整ったことが伝達され、交渉開始で両国が一致した。ただし、注目されるのは「ウクライナ支援に関する二国間文書」という用語法である。文書の呼称のみならず会談内容の発表にも、「安全の保証」はもちろんのこと、G7共同宣言で使われた「安全のコミットメント」も登場しない。もちろん偶然ではないはずだ。……

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カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
鶴岡路人(つるおかみちと) 慶應義塾大学総合政策学部准教授、戦略構想センター・副センター長 1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書、2023年)など。
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