無極化する世界と日本の生存戦略 (4)

日本の国益を損ねる「情報セキュリティ」という課題

執筆者:鶴岡路人 2023年11月13日
エリア: アジア
大量のデータが常時やりとりされるF-35の運用には高度な情報セキュリティが要求される[豪空軍ティンダル基地のシェルターに駐機する航空自衛隊のF-35AライトニングII=2023年8月29日](C)Royal Australian Air Force / LACW Taylor Anderson
防衛省の情報システムへの中国による侵入などが報じられ、日本の情報セキュリティの脆弱さが多くの関心を集めている。米英は日本の対応に不信を募らせているとされるが、他国から共有された情報を漏洩しないという基礎的な信頼が得られなければ、安全保障上の協力の機会は制限される。事実、徹底したネットワーク化が施された戦闘機であるF-35 の運用に関して、日本国外での共同訓練が行えないなど日本は多くの制約を受けている。課題解決の第一歩は、情報セキュリティが国益を損なう大きな問題であるとの認識だ。

 2010年代以降の日本と諸外国との安全保障・防衛協力の進展は目覚ましい。自衛隊と各国軍の間の共同訓練・演習は大幅に増加し、日英伊3カ国による次期戦闘機共同開発計画(GCAP)に代表される防衛装備品協力も拡大している。同時にインテリジェンス協力も注目され、米国、英国、豪州、カナダ、ニュージーランドの5カ国によるインテリジェンス協力の枠組みである「ファイブ・アイズ」の名前を聞く機会も増え、日本の参加を求める声も内外に存在する。NATO(北大西洋条約機構)との関係も強化されている。

 これらは、安倍晋三政権下で大きく発展したが、その後も引き継がれており、日本の対外関係の方向として定着したようにみえる。

 しかし、これらをさらに進めることを妨げる巨大な障壁が存在する。それが「情報セキュリティ(information security)」である。これにはさまざまな要素があるが、安全保障・防衛においては、保有する情報、他国から共有された情報を漏洩しないことがすべての基礎になる。しかし日本は情報セキュリティを確保するための十分な体制を欠いており、同盟国である米国や価値を共有するその他の同志諸国(like-minded countries)の信頼を得られていないことが問題なのである。

 以下では、情報セキュリティに関連するいかなる問題が現に発生しているかを検討する。この問題は、セキュリティ・クリアランスなどの個別の制度をめぐる課題として論じられることが多いが、情報セキュリティ分野での日本の取り組みが進まないために他国との安全保障・防衛協力の機会が制限され、国益を損なっていることへの認識自体が、政治やメディア、そして社会全般においても低い現状がある。まずは問題の深刻さを認識することが課題解決の第一歩になる。

 問題の解決には法改正をともなう改革が必要であることを考えれば、そこで鍵を握るのは政治、なかでも特に国会だといえる。

同盟国の懸念と苛立ち

 日本政府における情報セキュリティの問題は、決して新しいものではない。日本は冷戦時代から「スパイ天国」だと揶揄されてきた。2014年に施行されたいわゆる特定秘密保護法は重要な前進だったが、反スパイ法やセキュリティ・クリアランス制度などは残された課題である。またサイバー関連の能力向上には政府全体としても防衛省としても取り組みが進められているものの、課題解決への道のりはまだ長い。そして、そうした制度の整備とともに、それらを日々運用していく人材の育成も見逃してはならない課題である。

 最近の例としては2023年8月7日付の米ワシントン・ポスト紙報道が、文字通り破壊的であった。2020年秋に判明した防衛省の情報システムへの中国による侵入が大々的に報じられたのである。

 同記事によれば、中国の侵入を最初に探知したのは米国であり、深刻度が高かったことから当時のトランプ政権は、新型コロナ危機によって渡航制限が厳しかったなかでも、国家安全保障局(NSA)のポール・ナカソネ長官をはじめとする政府高官を日本に派遣した。その後、2021年春になっても日本の対応が不十分で問題の解決にいたらなかったために米国側が懸念を強め、共同での対処を提案したものの、自国の情報システムに米国が入ることへの抵抗から日本側は米国提案を退けたという。同年秋になっても日本側の対応は不十分であり、バイデン政権は再び政府高官を派遣し、さらに踏み込んで対応を求めたという経緯である。

 ことの詳細はともあれ、重要な点は、防衛省の情報システムが中国の侵入を許してしまったこと自体ではない。そうした事案を事前に防ぐことができればそれに越したことはないが、その後の日本政府の対応に米国政府が懸念を強めたことこそが問題の核心である。というのも、米国においてもさまざまな情報漏洩事案は発生する。そこで問われるのは問題を解決し、いかなる再発防止策をとるかなのである。日米の間でいえば、「日本であれば適切に対応するだろう」という信頼(trustworthiness)が重要になる。これが欠けていることを浮き彫りにし、その度合いをさらに低下させたのが今回の事例だった。……

この記事だけをYahoo!ニュースで読む>>
カテゴリ: 軍事・防衛 政治
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
鶴岡路人(つるおかみちと) 慶應義塾大学総合政策学部准教授、戦略構想センター・副センター長 1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書、2023年)など。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top