新・日本人のフロンティア (26)

アフリカ4カ国を訪れて見たこと感じたこと――南アフリカ・ボツワナ・エスワティニ・ナイジェリア

執筆者:北岡伸一 2024年1月2日
タグ: 日本
エリア: アフリカ
アパルトヘイト博物館:入場券がランダムで人種が割り当てられ、訪問者はアパルトヘイト政策の一部の追体験をすることになっている(アパルトヘイト博物館公式HPより)
アフリカの4カ国を訪問したが、そこで見えたのは、歴史がもたらした社会問題や経済運営の難しさ、隣国に依存せざるを得ない地理的条件、そして不安定ながらも自信に満ちあふれた大国の姿だった。

 10月、アフリカの4カ国、南アフリカ共和国、ボツワナ、エスワティニ、そしてナイジェリアを訪ねた。

 

 南アは面積122万平方キロで日本の3.2倍、人口は6000万で日本の約半分である。GNI(国民総所得)は4063億ドルとアフリカで2位、サブサハラの経済の20%を占める。1人当たりでは6780ドルでアフリカでは上から4、5番目である。

 南アの歴史はきわめて複雑だが、思い切って単純化して言えば、古くから黒人が住み着いているところに、17世紀半ば、オランダ人が喜望峰付近に入植し、ケープ植民地を建設した。18世紀末、金やダイヤモンドを目指してイギリス人がやってきて、オランダ人などそれ以前からの白人(ボーア人と呼ばれた)は東方に移動し、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国などを樹立した。やがてこれらの共和国とイギリスとの間にボーア戦争が起こり、イギリスが勝利して、1910年、英連邦の中に南アフリカ連邦が成立した。以後、イギリス人やボーア人(アフリカーナ)が支配する体制が長く続き、戦後、人種、地域、職業によって国民を細かく分断する体制(アパルトヘイト)が作られた。それは世界中の批判を招き、とくにアフリカ諸国から厳しい批判を浴び、90年代にようやく廃止され、1994年になって初めて平等な選挙が行われ、ネルソン・マンデラが大統領に当選し、アパルトヘイトに終止符が打たれた。

 その後、複数政党制度による民主主義が行われているが、AIDS(後天性免疫不全症候群、エイズ)の蔓延、白人とくにアフリカーナの流出などで人口が減少し、難しい政治が続いている。

 さて、ヨハネスブルグの空港でまず驚いたのは、BRICSに関する大宣伝だった。BRICSは世界のGDPの23%、人口の42%を占めているとか、国と国のみならず人と人、文化と文化の絆で結びついているとか、派手な宣伝が並んでいた。

 たしかに南アは議長国としてBRICSをリードし、アフリカ大陸からエジプト、エチオピア、中東でサウジアラビア、アラブ首長国連邦、イラン、それに南米のアルゼンチンが入ることが、8月下旬のBRICS首脳会談で合意された。

 この顔ぶれは、エネルギー大国であるサウジとアラブ首長国連邦とイラン、アフリカの人口1億の大国であるエジプトとエチオピア、それに南米のアルゼンチンでなかなかの顔ぶれである(ただ、アルゼンチンは最近の大統領選挙で大統領が代わり、BRICSに入らないらしい)。とくに、デモクラシーの国が少ないこと、イランが加わって反米色がさらに強まったこと、中露と共に、ドル依存を減らし、アメリカの制裁力(大部分金融制裁である)を排除したいという方向が強く出ていることが注目される。……

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執筆者プロフィール
北岡伸一(きたおかしんいち) 東京大学名誉教授。1948年、奈良県生まれ。東京大学法学部、同大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。立教大学教授、東京大学教授、国連代表部次席代表、国際大学学長等を経て、2015年より国際協力機構(JICA)理事長、2022年4月よりJICA特別顧問。2011年紫綬褒章。著書に『清沢洌―日米関係への洞察』(サントリー学芸賞受賞)、『日米関係のリアリズム』(読売論壇賞受賞)、『自民党―政権党の38年』(吉野作造賞受賞)、『独立自尊―福沢諭吉の挑戦』、『国連の政治力学―日本はどこにいるのか』、『外交的思考』、『世界地図を読み直す』など。
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