アフリカ4カ国を訪れて見たこと感じたこと――南アフリカ・ボツワナ・エスワティニ・ナイジェリア
10月、アフリカの4カ国、南アフリカ共和国、ボツワナ、エスワティニ、そしてナイジェリアを訪ねた。
南アは面積122万平方キロで日本の3.2倍、人口は6000万で日本の約半分である。GNI(国民総所得)は4063億ドルとアフリカで2位、サブサハラの経済の20%を占める。1人当たりでは6780ドルでアフリカでは上から4、5番目である。
南アの歴史はきわめて複雑だが、思い切って単純化して言えば、古くから黒人が住み着いているところに、17世紀半ば、オランダ人が喜望峰付近に入植し、ケープ植民地を建設した。18世紀末、金やダイヤモンドを目指してイギリス人がやってきて、オランダ人などそれ以前からの白人(ボーア人と呼ばれた)は東方に移動し、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国などを樹立した。やがてこれらの共和国とイギリスとの間にボーア戦争が起こり、イギリスが勝利して、1910年、英連邦の中に南アフリカ連邦が成立した。以後、イギリス人やボーア人(アフリカーナ)が支配する体制が長く続き、戦後、人種、地域、職業によって国民を細かく分断する体制(アパルトヘイト)が作られた。それは世界中の批判を招き、とくにアフリカ諸国から厳しい批判を浴び、90年代にようやく廃止され、1994年になって初めて平等な選挙が行われ、ネルソン・マンデラが大統領に当選し、アパルトヘイトに終止符が打たれた。
その後、複数政党制度による民主主義が行われているが、AIDS(後天性免疫不全症候群、エイズ)の蔓延、白人とくにアフリカーナの流出などで人口が減少し、難しい政治が続いている。
さて、ヨハネスブルグの空港でまず驚いたのは、BRICSに関する大宣伝だった。BRICSは世界のGDPの23%、人口の42%を占めているとか、国と国のみならず人と人、文化と文化の絆で結びついているとか、派手な宣伝が並んでいた。
たしかに南アは議長国としてBRICSをリードし、アフリカ大陸からエジプト、エチオピア、中東でサウジアラビア、アラブ首長国連邦、イラン、それに南米のアルゼンチンが入ることが、8月下旬のBRICS首脳会談で合意された。
この顔ぶれは、エネルギー大国であるサウジとアラブ首長国連邦とイラン、アフリカの人口1億の大国であるエジプトとエチオピア、それに南米のアルゼンチンでなかなかの顔ぶれである(ただ、アルゼンチンは最近の大統領選挙で大統領が代わり、BRICSに入らないらしい)。とくに、デモクラシーの国が少ないこと、イランが加わって反米色がさらに強まったこと、中露と共に、ドル依存を減らし、アメリカの制裁力(大部分金融制裁である)を排除したいという方向が強く出ていることが注目される。……
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。