現行国際秩序1は、ロシアのウクライナ侵攻、中国の台頭、そしてトランプ政権の再登場が示す米国の変質により大きく動揺している。第二次世界大戦の原因となった世界の経済的な分断を予防し、平和を作りあげるために構築された現行国際秩序が危機に直面している。2025年の世界は、第二次世界大戦への曲がり角にあった1929年と同じような岐路に立っている。
経済危機が各国の保護主義と政治体制の不安定化を招きつつあった1929年、日本は勃興する中国ナショナリズムの力を理解できていなかった。1931年の満州事変以降、武力により「中国問題」を解決する道を選び、対中戦争の泥沼に入り込んだ。あの当時、日本と米国との間の唯一の根本的な対立が「中国問題」であった。日本が対中政策の修正に失敗したことが日米戦争の導火線となり、負けると分かっていた戦争に突き進むという愚を犯した。
2025年の今日、現行国際秩序を護持し、補強し、改善する以外に日本及び国際社会の生き残る道はない。米国という不確実性を抱えながら、台頭する中国の突きつける挑戦を正面から受け止め、日本の国家戦略を考えるしかない。再び中国をどう認識し、位置づけるかが、日本の将来を決めるカギとなった。戦前の轍を踏まないためにも、中国をどう認識すべきなのかを必死になって考えて行くしかない。
そのためには、中国に関し、いくつかの基本となる視点を確立する必要がある。
中国共産党は行き詰まれば再び変わる
第1に、中国は変わり続けているし、今後も変わるという視点である。中国を固定観念で捉えないことが何よりも重要である。
現にこの百数十年、中国は変わり続けている。1912年の清朝崩壊以降、1949年の中華人民共和国成立までの37年間は正に激動の時代であった。軍閥割拠、蒋介石国民党の中国統一、日本の中国侵略、国共内戦と続いた。中国は、新中国成立後も1976年に文化大革命が終わるまでの27年間、政治闘争の連続であり、天下は大いに乱れた。1978年に、その後改革開放政策と呼ばれることになる新政策が導入され、中国は空前の経済発展の道を歩み始めた。あたかも固定されたレールの上を走る列車のように発展したと錯覚する向きもあるが、そうではない。改革開放政策が定まったのは1992年の鄧小平の「南巡講話」により市場経済の原則が確立してからであり、それまでの14年間は市場経済と計画経済の間を揺れ動いていた。固定されたレールの上を走っているように見えたのは、江沢民と胡錦濤時代の20年間に過ぎない。それでもその間、必要な修正と改革は常に続けてきた。
2012年以来、その鄧小平路線を習近平政権は再修正した。再び大きく変化し始めたのである。経済は成長したが、肝心の中国共産党そのものが、深刻な腐敗と組織の弛緩という深刻な問題を抱え、共産党統治の危機に直面していたからである。そこで前代未聞の反腐敗闘争を始め、党組織と社会の管理を強化しながら、党のトップに圧倒的な権力を持たせることにした。「習近平思想(習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想)」を党規約に書き込み、トップの方針を末端まで実行させることに全精力をつぎ込んだ。こういうやり方をすれば、組織や社会の自発性は弱まり弱体化し、思い通りの成果が出なくなり、行き詰まる。現在は、そのせめぎ合いの状態にある。
だが、中国共産党は行き詰まれば再び変わる。今や習近平の党となった中国共産党は、習近平がいなくなれば滅びる、などという人もいるが、彼らの変わる力を過小評価すべきではない。共産党の組織の制度化はさらに進み、習近平自身、その中で動いており2、習近平後も手続きを踏んで次の指導者が選ばれる可能性の方が高い。
中国は安定した国際環境を必要としている
第2の重要な視点は、中国は超大国になる夢は昔から持っていたが、中国一国で世界を牛耳る日が来ない以上、現行国際秩序の中で生きることを選択しているという点だ。
中国を世界大国として復権させたいという夢は孫文の時代からあった。毛沢東は米国を超えると言ったし、鄧小平にもその気持ちはあった。だが、それを表に出しすぎると米国を不必要に刺激するというので、力を隠し時間稼ぎをする「韜光養晦」政策をとった。習近平の時代となり、「中国の夢」の実現を国策として打ち出し、2017年には2050年頃までに米国と並び、できれば追い越すことを世界に宣言した。
それでは、米国を抜いて世界一になった後、一体、何をしたいのかという点になると途端にはっきりしなくなる。
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