国際人のための日本古代史 (116)

「ヤマト」建国後に衰退した「出雲」の謎

執筆者:関裕二 2019年10月11日
タグ: 日本
エリア: アジア
出雲が北陸に伝えた「四隅突出型墳丘墓」(筆者撮影)
 

 10月を神無月(かんなづき)と呼ぶのは、日本全国の神々が出雲に出かけてしまうからで、出雲では逆に神在月(かみありづき)と呼ぶ。この話、すでに連載91回で記している(2017年10月12日『「神在月」から解ける「国譲り」「天孫降臨」神話の謎』)。神話の中で出雲の神々は「現実の政治にタッチしないで祭祀に専念しろ」と命じられ、これが「年に1回神々が出雲に集まる」という信仰に繋がったというものだ。

 ただし、出雲の謎は、まだ尽きない。たとえば、神話の中で幽界に去って行ったはずの出雲の神々や人脈が、なぜか歴史時代に入ってヤマトに姿を現す。「出雲」は、創作された神話ではなかったのか?

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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