「東芝」という社名にはもはや食傷した読者が大半だろう。2015年以降、次々、噴出する粉飾決算など不祥事、主力事業の切り売り、ガバナンスの劣化をみれば既に日本を代表する名門企業としては幕を閉じたことは明らかだ。世間の東芝への関心は、外国ファンドに命綱を握られ、零落していく“貴種”の行く末を見届けることでしかない。東芝の没落については『東芝の悲劇』(大鹿靖明著)、『東芝 原子力敗戦』(大西康之著)はじめ優れた書籍が数冊出ており、多くが「経営者の失敗」に原因を求め、議論は尽くされた感がある。ここでは、日米経済関係という別の角度から東芝を改めて論じてみたい。国家と産業の狭間に沈んだ名門の悲劇である。
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