玉城デニー知事が語る「沖縄復帰50年目の割り切れなさ」

執筆者:野添文彬 2022年5月1日
タグ: 日本
玉城知事のプリンシプルとは(撮影:フォーサイト編集部)
沖縄は2022年5月15日で日本復帰から50年の節目を迎える。この間、県政を担ってきた歴代知事の心中はどのようなものだったのか。沖縄国際大学・野添文彬准教授による連載「知事たちの沖縄復帰50年」の開始にあわせて玉城デニー沖縄県知事のインタビューをお届けする。

 

「沖縄の置かれている状況は、割り切ろうと思えば、割り切れるんです。だけど、こんなもんだと割り切っても、しばらくするとまた、本当にそれでいいのかという考えが浮かんでくる。

 何が正しくて何が正しくないのか。我々の声は誰が聞いているのか。どこに届いているのか。たくさんの不条理がそこに存在するわけです」

 3月下旬、沖縄県知事の玉城デニーは筆者のインタビューにこう語った。

 沖縄は2022年5月15日で日本復帰から50年の節目を迎える。この間、琉球政府行政主席の立場で悲願の復帰を果たし、初代県知事を務めた屋良朝苗から、現職の玉城デニーまで、8人の知事が県政を担ってきた。

 第5代知事を務めた稲嶺恵一は「知事の仕事の7~8割は基地問題だ」と言った。日本の米軍専用施設の約7割が集中する沖縄において、普天間飛行場の辺野古移設に代表される基地問題は、今もなお県政の大きなウエイトを占め、また県民の大きな関心を集めている。

 時に日本政府と対峙し、時に米国政府にも働きかけを行いながら、県民の経済的な豊かさと安全な暮らしを実現していかなければならない重責は、歴代沖縄県知事に難しい舵取りを強いてきた。彼らの心中はどのようなものだったのか。

 この度、筆者はフォーサイトで、歴代知事の半生を振り返る連載「知事たちの沖縄復帰50年」を執筆することになった。以下は連載開始に先立ち行った玉城のインタビューをまとめたものである(以上、敬称略)。

翁長知事が教えてくれたプリンシプル

コロナ禍で観光客がまばらな国際通り

 この50年、沖縄では沖縄振興(開発)特別措置法に基づく「沖縄振興(開発)計画」よって道路、ダム、空港、港湾、病院や学校などの社会基盤の整備が5次にわたって行われてまいりました。一定の社会基盤が整備されたことによって、現在は観光関連産業が沖縄の基幹産業に成長し、かつてのように断水も起きなくなりました。

 私は自宅の屋上にタンクを置き、断水した時に使えるように雨水を貯めているのですが、何年か前に自宅をリフォームした際にタンクを交換して欲しいと頼んだところ、「デニーさん、もう沖縄は何十年も断水していませんよ」と言われ、いつでも水が供給できるようになったのだということを改めて実感しました。ちなみに、タンクは寂しいので一応置いてくださいと言ったのですが、当分使う予定はないだろうなと思います。

 社会的なインフラが整備されてきている今、この50年間で復帰して何が良かったか、良くなかったかということについては、人それぞれ意見が分かれます。

 物理的な利便性が高まり、パスポートを持たずに本土と自由に行き来できるようになったことで、より将来設計がしやすくなりましたし、子供の進学率も上がりました。一方で、米軍基地が集中しているという問題、基地があるがゆえの生活に対する重圧は、変わらず存在しています。

宜野湾市の市街地に位置する普天間飛行場
 

 沖縄は施政権が本土に復帰し、47都道府県の1県という位置づけにありますが、不利な状況を押しつけられている。日本政府は沖縄の振興計画は続けてきたけれども、他方で沖縄の基地問題はできるだけ触らない方向でずっと置いてきた。それに対して、「なぜそのような構造的な差別を沖縄県民に与え続けるんですか?」というところの鬱積した部分が、ずっと解消されずに今日まで残っている。私はそれが日本政府の沖縄に対する取り組みの宿痾みたいなものだと思います。

 そのような過程において、基地問題か経済かの二者択一を迫るような運動によって県民が二分され、望まずしてお互いが争う構図に置かれてしまったことも否めません。

 ですが、翁長雄志知事が2014年12月に知事選挙に出馬した際、「誇りある豊かさ」という言葉をお使いになった。ここには、 革新派の方々が誇りを持って訴えてきた基本的人権の尊重や憲法9条の意義と、保守側の方々の努力によって得られた経済的な豊かさは、本来どちらも沖縄県民として当然の権利であり、その2つの取り組みは1つでなければいけない、というメッセージが込められています。

 翁長知事は、政治的な左右ではなく、うちなーんちゅが一番求めるものを実現するために政治はどうあるべきか、というプリンシプル(原理原則)に目を向ければいいのだということを教えてくれました。

 復帰50年の沖縄県知事の考え方は、そういうプリンシプルなものであるべきだろうと私は受け止めていますし、そのために復帰50年を振り返り、これから先を見通した何らかのメッセージを出す必要があるだろうと考えています。

バックボーンは誰一人取り残さない県民

沖縄の多様性を体現する玉城知事

 私は翁長知事がおっしゃった「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉が大好きです。

 経済界から強力な支援を受けて知事としての仕事を任されたら、経済分野をもっと盛り立てていこうと思うでしょうし、教育業界から支援を受けたら、教育をもっと推進していこうと思うでしょう。そのようなバックボーンが、知事の判断基準の大きなウエイトを占めているのだろうと思いますが、私のバックボーンは「誰一人取り残さない県民」です。

「うちなーんちゅだったら、この沖縄をどうしたいか」と思うその気持ちを原理原則に考えれば、本当に沖縄県民のためを思ってしてくれている意見なら、政党やイデオロギーに関係なく参考になりますし、参考にするべきだと思います。

 今までの沖縄県知事の方々は、教員出身の屋良知事、政治家出身の西銘順治知事、学者出身の大田昌秀知事、経済人だった稲嶺惠一知事など、専門性がとても強い側面を持っていらっしゃいますが、私は学者でも経済人でも政治の家系でもない。市井のなかからタレントを経て政治の世界に転身した、草の根の知事です。

 父親はアメリカ人、母親はうちなーんちゅというダブルの血を持っている存在としてタレントや政治の場面で活動をしてきた私が、県知事としての舵取りを任されるようになったというのは、時代的な変遷を感じます。これが20年前、30年前、ましてや50年前だったら、おそらく想像もできなかったでしょう。私はこれが沖縄の多様性の象徴だと前向きに受け止めています。

 私は沖縄の方言である、うちなーぐちを多少使いますので、「あの人は見た目は外人風だけど、うちなーぐちはとっても上手よ」と高齢者の方がとても好意的に受け止めてくださる。うちなーんちゅとして生きてきた玉城デニー、玉城康裕という人に対して、期待しようという気持を向けていただいたのではないかなと思います。

米議会への情報提供と働きかけ

 米軍基地問題には、突発的に起こる事故や事件と、米側があらかじめ日程を立てていて、その情報が直前になってしか行政に知らされないことによる戸惑いや県民の不安と、2つの側面があります。

 出来得る限り米国側には、沖縄防衛局を通じて情報を早期に精緻に知りたいと言っているのですが、必要な情報が量も質も担保されていないのが現状です。日本政府は米国側任せで、米国側は軍の運用に支障をきたすようなことには極めて消極的であると言わざるを得ない。

 私がアメリカで海兵隊、海軍の基地を視察した時は、基地司令官は地域のコミュニティと十分な意思の疎通をはかりながら運用を行っていました。この期間は大事なセレモニーがあるので航空機を飛ばさないで欲しいといったコミュニティからの要望も最大限聞き入れ、連携がうまく取れていた。

 他方沖縄では、国があまりにも米軍任せにしてしまっているという日米地位協定の体質的な問題があるので、踏み込むことができない。踏み込んでお願いをしたとしても、米側の好意的配慮におもねるしかないという状況にぶち当たってしまう。

 そのため、ひとたび那覇軍港でオスプレイを使った訓練が行われたと言うと、即応しなければなりません。すぐに基地対策課を集めて情報収集を指示し、沖縄防衛局や外務省沖縄事務所に抗議の準備を依頼し、ワシントンに置いている駐在員を通して米側にも情報収集を呼び掛ける。県民の人命と財産の問題が一気に膨れ上がるので、突発的な事故と同じくらいの対応を取らざるを得ない。

 ワシントンに駐在員を置いているのは、米国側に沖縄の現状を伝えるアクションを起こしていく必要があるからです。米国側は当然カウンターパートである日本政府からの情報を受け取り、お互いが了解する形で計画を進めていきますが、そこには両方の国の了解はあっても、沖縄県の意見は反映されていません。国に言っても、その声に基づいて米国側に交渉するということをしない。

 であれば、米側、特に予算編成権を持っている議会の側に働きかけ、情報提供を行っていかなければ、沖縄における米軍基地の本当の問題点というものは伝わっていかないのだろうと思います。

復帰50年間で問われ続けてきたこと

インタビューを行う筆者

 鳩山元総理の「県民が望むのであれば、最低でも普天間基地の県外移設を模索していきたい」という発言は、総選挙を控えた2009年7月、民主党から立候補していた私の激励パーティでおっしゃっていただいたことでした。

 しかし、政権交代を経て発足した鳩山政権では、残念ながら総理の考えが閣僚と共有されていなかった。私はじっくり普天間基地の問題と向き合って丁寧に進めていけば良いと考えていましたし、総理にもそのように話していましたが、そのうちに期限を区切って2010年5月には結論を出すという話になり、最終的に撤回することになった。

 その後、政権が自民党に移ってからは、結局、元の計画通りに進めていくという方向に流れ、今現在も辺野古の埋め立て工事は強行されています。

辺野古のキャンプ・シュワブ

 引き続き米軍基地の負担をお願いするということが前提になっているならば、負担をする自治体も入って協議をして然るべきではないでしょうか。しかし、日本政府から「地元の皆さんの声もしっかりと活かしていく場をつくりましょう」という提案は全くありません。

 そのため我々は、日米両政府に沖縄も加えた三者協議の場として「SACWO(サコワ=SACOプラス沖縄)」を提案しています。我々は一方的に「聞け」とは言っていません。皆さんはどう考えているのか聞かせてください。我々がどうしようと思っているのか聞いてください。そこでお互い理解できる点を見つけていきましょうという当たり前の対話によって、解決する手続きを取りたいだけなのです。

 それを一顧だにしないということであれば、こんな日本の政治で良いのか、これが本当に民主主義なのか、問いかけ続けなければいけないのだと思います。

 沖縄の置かれている状況は、割り切ろうと思えば、割り切れるんです。だけど、こんなもんだと割り切っても、しばらくするとまた、本当にそれでいいのかという考えが浮かんでくる。

 何が正しくて何が正しくないのか。我々の声は誰が聞いているのか。どこに届いているのか。たくさんの不条理がそこに存在するわけです。

 復帰して我々が求めていたものは、人権の尊重ではなかったのか。日本国憲法に基づいた公平公正な生き方が保証されているということではなかったのか。それが、この復帰50年間でずっと問われ続けてきたことなのです。

 

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
野添文彬 沖縄国際大学法学部 地域行政学科准教授。1984年生まれ。一橋大学経済学部卒業後、同大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は国際政治学、日本外交史、沖縄基地問題。主な著書に『沖縄返還後の日米安保: 米軍基地をめぐる相克』(吉川弘文館/2016年)、『沖縄米軍基地全史』(吉川弘文館/2020年)がある。
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