
第42回秋季国体開会式で入場行進する沖縄県選手団(C)時事
1986年11月の沖縄県知事選では、西銘が革新陣営の金城睦(かねしろ・ちかし)に7万票差の大差で勝利し、3選を果たした。この選挙では、西銘が2期8年間の実績を強調したのに対し、革新陣営は内部で対立し候補者擁立が遅れ、西銘が圧勝したのである。
「日の丸」掲揚で揺れた海邦国体
西銘県政3期目の重要な事業となったのが、第42回国民体育大会(海邦国体)の開催(87年10月)である。海邦国体開催にあたり、西銘は85年10月、昭和天皇に対し「ぜひご来県され、日本の戦後を終わらせてください」と出席を強く要請する。昭和天皇も87年4月の記者会見で、沖縄訪問は「念願」であり、「戦没者の霊を慰め、長年県民が味わってきた苦労をねぎらいたい」と意欲を示した。昭和天皇の体調悪化によって国体出席は中止となるが、海邦国体では沖縄県が総合優勝し、西銘は「これでようやく沖縄の戦後は終わりを告げたと思う」と述べた。

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