
米兵による少女暴行事件についてコメントを読み上げる大田昌秀沖縄県知事(那覇市・沖縄県庁)(C)時事
戦後50年目の異議申し立て
1995年10月21日、沖縄県宜野湾市の海浜公園には主催者発表で8万5000人が集まった。そこには、これまでの集会と異なり、乳母車の赤ちゃんをあやす若い母親、制服姿の高校生、この日のために臨時休業した零細企業の社長など、立場や党派を超えて幅広い人々が参加した。会場には、激しい怒りとともに「今が最大のチャンス」「今度という今度は…」という思いが満ちていた¹。

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