
episode0
“国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を為すことができるのかを問うて欲しい。”
J.F.ケネディ1961年大統領就任演説
泰然自若――。
五年前、この部屋で、その書の迫力に圧倒されたのを、周防篤志[すおうあつし]は思い出した。
彼は、上野の不忍池の畔にある「江島屋」の離れにいた。明治に創業した老舗料亭は、あの日と同じようにしんとしている。夏の始まりを歓ぶ蝉の声すら聞こえない。
「江島屋」は、元内閣総理大臣江島隆盛[えじまたかもり]の曾祖父が開いたもので、明治の元勲から歴代総理の多くが、この一室で国家の行く末を大いに語り合ったという。
ここに、初めて江島に招かれたのは、彼が総理大臣を辞職した直後のことだった。
天下国家を語る男達の気を吸い続けた部屋ともなれば、そこに漂う空気もただならぬ重さで、周防は息苦しさを覚えた。だが、渋い大島紬の和服を着た江島が姿を見せると、緊張感は消え失せた。いつもよりも明るく饒舌だった江島のおかげで、周防には一生忘れられない時間となった。
あれから、五年か……。
長いようで、一瞬だった。

財務省主計局から、次に任じられたのはナイジェリア大使館の一等書記官だった。
アフリカでの勤務は、日々、焦燥と消耗の連続だった。しかも、ナイジェリアの治安の悪さは世界でもずば抜けており、日中に、道路を渡る程度の行動にも安全確保を意識しなければ、たちまち犯罪に出会うという有様だった。
身の安全だけではない。権力者の理由なき強権発動、暴力、腐敗、そして、這い上がれない貧困という絶望――。
激烈な格差社会の不幸を知識としては知っているつもりでも、その現実を目の当たりにした時、あまりにも救いがないことに絶句するしかなかった。
国家の使命とは、国民の命と国益を守ることだ。だが、独裁的な政治がはびこれば、その富を享受するのは「限られた国民」だけだ。
国全体が貧困に喘いでいるならともかく、石油が豊富に産出し、アフリカ屈指の経済大国であるにも関わらず、富の配分どころか「健康で文化的な最低限の生活を営む権利」すら国民すべてに行き渡らない。それを理不尽だの不条理だのと部外者が怒ったところで、その構図はびくとも揺るがない。
その現実に耐えきれなかった周防は、全てを投げ出して帰国しようと、何度も考えた。思わず辞表を叩きつけたくなる衝動を抑え込んで、歯を食いしばって頑張れたのは、江島との約束があったからだ。
――ひと回りも二回りも逞しくなって帰国し、財政再建というミッションを完遂させます!
あの時、この部屋で、そう宣言したのだ。尤も江島と共に臨んだ闘いには敗北したが、江島は決して諦めていない。必ず再起して、日本を守るという江島の固い意志を知った時、周防は、何があっても彼の伴走者であり続けようと決意した。
三年の赴任勤務を終え、喜び勇んで帰国の準備を進めていた時、「篤志にも、少し骨休めをしてもらわんとな」と言ってロンドン留学を勧めたのは江島だった。
単身赴任の上に、COVID-19の世界的な大流行で、休暇の一時帰国も叶わず、長らく家族に会えなかっただけに、このまま、また、英国で一人暮らしをして学ぶなど、周防は考えたくもなかった。
そこで、かつて江島と共に闘った先輩、土岐悟朗に相談すると、“「OZ(オペレーションZ)」に関わった者への追放処分はまだ解けてないんだ。だから、江島さんの親心を察しろ”と返ってきた。
ナイジェリアを、救いようのない独裁国家と非難していたのに、日本だって大差ないじゃないか――その現実に周防は打ちのめされた。
いっそのこと、財務省を辞して江島の付き人にでもしてもらおうかと真剣に考えていると、江島から“追伸”がきた。
「ロンドンには家族帯同できるように手を回した」
老母を含め七人家族の周防家が、物価が高いロンドンでなんて到底暮らせない。しかも、日本も英国も、新型コロナウイルス感染の猛威が落ち着いたわけでもなかった。
「生活費は気にするな。私の複数の友人が、サポートすると言っている。コロナ対策にも万全を図る」と、江島は太鼓判を押した。
政治の本場、英国への留学は魅力的だった。しかも、EU離脱後の英国の行方と政府の取り組みを目の当たりにしながら、その地で財政や政治学を学ぶには、またとない好機でもある。結局、妻の由希子の強い後押しもあって、老人ホームで暮らす実母を除く六人で、ロンドンへ向かった。
二年間のロンドン滞在では、人生の中でも、大きなエポックとなるほどの経験を積み、得がたい友人、師、同志と巡り会えた。
そして、先週、五年ぶりに帰国したのだ。

「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。