
フィリピンはフェルディナンド・マルコス政権時の1970年代より外貨獲得や失業対策として世界中にフィリピン移民労働者(Overseas Filipino Workers=OFW)を派遣してきた。国民の10人に1人が海外に出稼ぎしていると言われている。主な派遣先はサウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)で、この2国だけで全体の約4割を占める。1割弱が米州で、エネルギー収入のおかげでカリブ地域の経済大国となったトリニダード・トバゴ(TT)もその1つだ。
TTでOFW受け入れが本格的に始まってから15年以上が経過し、OFWの中には現地で安定した雇用・収入、永住権までも手にした人々が増えている。にもかかわらず2010年代後半以降、安定した法的・経済的立場、TTでの住み慣れた暮らしを捨て、米国やカナダ、英国行きを目指す動きが顕著となっている。
このことは、優秀な外国人材を確保することの難しさを浮き彫りにする。
TTの労働力不足を補う移民
TTは海外に移り住む自国民の割合が高い国として知られている。経済協力開発機構(OECD) と国連が 2010/11 年度を対象に実施した調査によると、TTのOECD諸国への移民率は 23 %と世界第6位の高さで、中でも高学歴保持者、看護師や教師などの専門的・技術的職業従事者の海外移住が多く、大卒者の移民率は6割以上に上ると言われている。人気の渡航先はTTと同じ英語圏の米国、カナダ、そしてかつての宗主国の英国で、移住の背景にはTTの賃金の低さ、学歴に見合った職やキャリアを得ることの難しさ、これら英語圏先進国の移民ネットワークの存在、そしてこれらの国々の関係者による人材の引き抜きなどが挙げられる。
こうした頭脳流出はTTの発展に負の影響も及ぼしてきた。特に医療や教育といった分野では人材不足が質・サービスの低下に繋がり、石油価格上昇の恩恵を受けTTが景気拡大期に入った2000年代になると、労働力不足が深刻化した。
TT政府はこの事態を打開すべく、2000年代半ばに近隣国からの労働者の受け入れ拡大に踏み切るとともに、世界中で白衣外交を展開するキューバとも協定を結び医師・看護師の受け入れを開始した。また、同時期には中国からの支援の下で国内各地に大型インフラを建設していたため、工事にあたっては中国本土から多くの労働者が投入された。フィリピン人がTTの労働市場に本格的に参入したのもこの時期にあたる。
TTとフィリピンは2000年に外交関係を樹立し、2004年には当時TTに在住していたフィリピン人のマリア・アドヴァニ氏が名誉領事に任命された。アドヴァニ氏はTT政府関係者と関係を深めていく中でTTの人手不足問題が深刻な状況を知り、OFWを受け入れるようTT政府への働きかけを強めていったという。その努力が実り、2005年には看護師と薬剤師計50名のTTへの送り出しが実現し、その数年後には建設や観光といった分野でもOFWが雇用され、TTのOFWの数は増加の一途を辿った¹。特に医療部門でのプレゼンスが目立ち、主要な病院や薬局に行くとOFWに会うことが多い²。
OFWの中には契約更新を重ねた結果、TT滞在期間が10年を超し、その間TTで出会ったOFWやTT人と恋愛・婚姻関係になり、両国にルーツを持つ子供を産む人々も増えている。TTが外国人労働者やその家族の受け入れ、永住権の申請について欧米諸国や日本ほど厳格且つ細かい基準を設けていないこともあり、フィリピン本国から家族を呼び寄せたり、永住権を獲得したりする動きも広がった³。

踏み台になるTT
ところが、2015年頃からTTを出国し、フィリピンに帰国する或いは他国に向かうOFWの数が増えている。この傾向は新型コロナウイルスの感染拡大によって日本以上に厳格な移動・行動制限が導入された2020~21年以降も続いている⁴。
ここで心に留めておかなければいけないのは、「OFWは……

「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。