独ショルツ政権「時代の転換点」の捉えにくさはどこから来るのか(下)――「抑止」という言葉のない『中国戦略』
ロシア・ウクライナ戦争開始以来、中国は外交的にはロシアを支援し続けており、次第に立場を接近させてきた。それにも関わらず、欧州主要国の対中外交は、対露外交ほどには急速には転換していない。ショルツ首相自身、本稿前編で述べたフォーリン・アフェアーズ誌論文の中で、新たな冷戦はあり得ず、世界は多極化の時代を迎えている、と述べている。そのような中で、ドイツが今年6月に『国家安全保障戦略』を、そして7月に入って『中国戦略』を相次いで発表したことは注目された。
シュレーダー路線に忠実であろうとする社民党と緑の党
実はこの二つの文書は、当初は今年の初め、2月頃に出される予定であった。2月には例年、欧州で最大規模のミュンヘン安全保障会議が開催されるため、その場で発表したいという気持ちがあったらしい。対中戦略策定の計画は、そもそも2021年11月の連立交渉にまで遡る。連立協定文書の後半、「外交、安保、防衛、開発、人権」の部分で、「新しい包括的な中国戦略」が必要であると述べられていた。
そもそも「外交、安保、防衛、開発、人権」が一つの見出しになること自体が、この連立政権の特徴を表していた。社民党、緑の党、自由民主党の三党連立政権にとって、デジタルとグリーンをキーワードにしたトランスフォーメーションこそが最大の関心事であり、外交安保はそれほど優先順位が高くなかった。しかし、政権発足間もないウクライナ危機勃発で、当初の目論見は吹っ飛び、狭義の安全保障とロシアから輸入の途絶えたガスの代替のためのエネルギー安全保障に忙殺されることとなった。特に2022-23年の冬は、ロシアからのガスが途絶えたことで、暖房燃料にも事欠くのではないかという不安がある中、原子力発電の完全停止を3カ月半先延ばしするという緊急措置を取り、何とか乗り切った。
ロシア・ウクライナ戦争初めての冬を何とか乗り切ったことで、ショルツ政権は、やっと落ち着いて将来のことを考える余裕ができて来たとも言えるだろう。そもそも脱原発は、1998年から2005年のシュレーダー政権が決めたことで、当時は社民党と緑の党の二党連立政権であった。メルケル政権の16年間を経て、やっと権力の座に戻ってきて、この二党は前回の路線に忠実であろうとしている。次の冬とて、エネルギー事情が厳しいことには変わりない。しかし、4月15日にドイツの原子力発電所はすべて完全停止した。冬以来、各種世論調査で、過半数の国民が原発完全停止の引き延ばしを支持していたにも拘らずである。
その上で満を持して出されたのが、『国家安全保障戦略』と『中国戦略』であった。この間、ショルツ政権売り物の、「時代の転換点」は失速していることを指摘されていた。1000億ユーロの特別資金拠出を約束し、これでGDP比2%は達成されると見えを切ってみたものの、実際にはなかなか予算消化は進まなかった。最大の目玉の一つであった、NATO(北大西洋条約機構)の核共有制度に参加し続けるための、F-35Aの35機購入も、いまだ具体化していない。そのような中で、2023年度予算はコロナ、ウクライナでの特例運転は終わり、通常の均衡予算に戻り、政府計画では防衛費は、GDP 比1.6%に留まった。
安全保障を「三次元」で定義
『国家安全保障戦略』の最大の特徴は、「統合された安全保障」(Integrierte Sicherheit)と謳っているところだ。文書発表の際の記者会見には、連立三党それぞれに所属する首相・外相・財務相に加え、国防大臣、内務大臣もそろって、安全保障概念の包括性を強調して見せた。今まで国防白書はあったものの、安全保障はより総合的な概念であり、警察から気候変動まで、様々な局面を含む概念である、ということをショルツ首相自ら、記者会見で説明した。この説明は、何やら昔の日本の「総合安全保障」を彷彿とさせるものがある。記者会見に集まったジャーナリストたちの関心は、ドイツの対中戦略であり、軍事戦略であったのだが、むしろそこには肩透かしを食わせた形で、非常に広い範囲の問題を扱う文書を提示した。……
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