
2023年10月15日にポーランドで総選挙、および国民投票が行われる。今回の総選挙は、2015年以降長期にわたって政権を担ってきた保守・ポピュリスト政党の「法と正義」(PiS)にとって、政権を維持できるかどうかの正念場である。政権奪還を目指す民主・自由主義政党の「市民プラットフォーム」(PO)は、選挙連合「市民連合」(KO)を組織し、さらにこの連合を超えた他の野党とも提携しながら激しく追い上げている。当初は「法と正義」の勝利が揺るがないように見えたが、選挙終盤になって総選挙の行方は混沌としてきた。
ポーランド人は何に悩み、どのような決断を下そうとしているのであろうか? ポーランドを取り巻く国内外の情勢、歴史的背景を繙きながら、ポーランドの苦悩の深層に迫りたい。前編では、ロシアのウクライナ侵攻戦争がポーランドに及ぼす影響を念頭に、ポーランド側から見たウクライナ問題を解説する。
ウクライナとの歴史的葛藤
現在のポーランドが抱える政治・社会・経済的諸問題の中で、ウクライナ問題はいうまでもなく大きなテーマである。マスメディアでは、ポーランド人のウクライナ人に対する人道支援が大きく報道されている。ポーランド人の支援活動は実に精力的・献身的である。しかしながら、ポーランド人とウクライナ人の関係は、極めて複雑であることも忘れてならない。
ポーランド人とウクライナ人の軋轢は、中世から絶えることがなく、現代に至ってもくすぶっている。第2次世界大戦中、ウクライナ蜂起軍(UPA)によるポーランド集落の襲撃・民族浄化が起こり、3~6万人が虐殺されたといわれる(ヴォルィーニの虐殺)。これに対し、ポーランドのパルチザンも報復をおこない、約1万5000人のウクライナ人を虐殺した。第2次世界大戦末期には、ポーランド領内のウクライナ人(おもにポーランド南東部に居住)が強制的にソ連に移送されたが、移送に応じない者も多く、対立はエスカレートし、ポーランド人によるウクライナ人への襲撃やそれに対する報復などといった事態に発展した。最終的に、50万人近いウクライナ人がポーランドから追い出された。1947年には、ポーランド政府は南東部に居住していたウクライナ系住民約14万人を、戦後処理で新たにドイツから獲得した西部回復領に強制移住させた(ヴィスワ作戦)。ヴォルィーニの虐殺、ウクライナ蜂起軍との闘い、ウクライナ人強制移住、ヴィスワ作戦といった出来事は、ポーランド・ウクライナ関係史にトゲのように突き刺さっている。
このように、ポーランド・ウクライナ関係は、歴史的には決して友好的なものではなかった。2015年に「法と正義」政権が樹立されてからウクライナ戦争が始まるまでは、政府レベルでのウクライナとの交流は極端に減少していた。「法と正義」政権下で現代史の国粋主義的な視点からの見直しが始まり、ウクライナ蜂起軍によるポーランド人虐殺の歴史が異常に大きく取り上げられるようになった。世論調査機関CBOSの2019年1月の調査(ロシアのウクライナ侵攻前の時期)によると、ポーランド人の40%以上がウクライナ人に対して嫌悪感を示し、30%以上が同情、30%近くが無関心を表明している。もっとも、このポーランド人のウクライナ人に対する態度の悪化は、ポーランド社会における外国人嫌いの一般的な増加という広い文脈の中に置かれるべきで、とりわけ「法と正義」のプロパガンダが国民意識に大きな影響を与えた結果であるという見解もある。
それでも、お互いにこうした歴史を乗り越える努力も継続的に進められてきた。たとえば、2013年にはポーランドのカトリック教会とウクライナの正教会が「互いに対する赦しと和解」を促す共同の和解宣言を発表しているのも、その努力の一つである。
深まっていた経済的な相互依存関係
経済の側面からは、また違ったポーランド・ウクライナ関係が見えてくる。ポーランドは近年、EU(欧州連合)の方針に反発して中東・アフリカからの避難民を頑なに拒否してきた。しかしながら、意外に思えるかもしれないが、実はポーランドはヨーロッパの中でも公式・非公式に多くの移民、避難民を受け入れている国でもある。もちろん、ロシアのウクライナ侵攻が始まってから150万人以上のウクライナ避難民を受け入れたことも大きいが、それ以前にウクライナ等から多くの労働者を受け入れていた。

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