
本年6月中旬のウラジーミル・プーチン大統領の北朝鮮およびベトナム訪問の動きは、中国とロシアの関係の複雑さと厳しさを外部から推測できる貴重な機会であった。世界は「民主主義対権威主義」「西側対中ロ」といった簡単な構図で進んでいるわけではないことが分かる。
プーチンの最大の関心事項はロシア・ウクライナ戦争であり、ロシアが勝利したと国内的に説明出来る結論しか受け入れる気はない。負けたとなればプーチン政権も持たない。プーチンの外交的動きの最大の動機付けが、戦争に勝つ仕掛けの構築にあると見て間違いはない。それが本年6月中旬の北朝鮮およびベトナム訪問の動きとなるし、インドのナレンドラ・モディ首相の訪ロも、ロシア側の最大の動機付けはそこになる。
だが、この外交劇の隠れた主役が中国であることも、また衆目の一致するところである。
塩野七生氏は『ローマ人の物語』の中でジュリアス・シーザーの打つ手は、常に複数の目的を持っていたと叙述しているが、外交も同じだ。1つの動きは複数の狙いを持っているし、持たせるべきである。ロシアをめぐる各国の一連の動きは、ある意味で特定の条件下における通常の伝統的な外交に過ぎない。複雑に見えるが、当たり前のことを行っているだけだ。舞台に登場する、ロシア、北朝鮮、ベトナム、インドも、それを見守る中国も、そういう「外交」に習熟している。
外交は心理戦でもある。多種多様な外交カードを使ってタイミング良く効果的な手を打ち、狙った方向に相手を動かす。だが、相手をいくら動揺させても、行動を伴う結果が付いてこなければ単なるパフォーマンスに過ぎず、その外交は成功とは言えない。やり過ぎれば逆効果となる。こういう外交的動きの一々の動きが何をもたらすのか、実際に何をもたらしたのかをしっかりと見極める必要がある。プーチンの北朝鮮、ベトナム訪問を例に、中国の視点も交えながら可能な限り複眼的に中ロ関係の分析を試みてみたい。
ロシア支援で傷ついた「欧州」という対米カード
多くの識者が、中ロ関係は複雑な歴史的、地政学的な背景を持ち、一筋縄ではいかないと指摘してきた。その通りだが、2012年の習近平政権の登場とともに、中ロ関係は強化され、蜜月を演出する方向で進み始めた。とりわけ15年頃から米中関係の地政学的な対立が強く意識され始めると、その傾向はさらに強まった。
だが22年2月のロシアによるウクライナ侵攻により、その中ロ蜜月関係の構図が軋み始めている。ロシア外交は、ロシア・ウクライナ戦争に勝つためにはなりふり構わず何でもする、に変わった。中国はといえば、22年10月の第20回党大会において対外政策の調整を行い、米国との衝突を避け関係改善を図り、対米関係を有利に進めるために欧州を取り込み、近隣諸国との関係を安定化させることにした。中国が生き残り、経済発展を続けるためのやむを得ない軌道修正であった。ここに両国の新たな摩擦の種が埋め込まれたのである。
プーチンにとりロシア・ウクライナ戦争に対する中国からの支援は甚だ不十分なものに映る。自分が政治生命をかけて戦争を戦っているのに中国は冷たすぎるというのが偽らぬ気持ちであろう。プーチンの中国への不満は強いと見て良い。中国にさらに踏み込んだ対ロ支援に向かわせるにはどうしたら良いのか? ここにプーチンの思考は飛ぶ。

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